当直が終わって、ルカは引継ぎの為に船長室へ赴いた。
控えめにノックをすると、中から返事があった。
「交代の時間です、キャプテン。」
ルカはドアを開け、一歩中へ入ると型通りに申告した。
「おう、変わりないか?」
キャプテン・トーマスは起きたばかりの様子だった。
机に置かれた小さなランプがほのかに揺らめいていた。
「はい、異常なしです。」
ルカは答える。
「よっし。」
トーマスは愛用の帽子をかぶると外へ出て行った。
ルカはランプをそっと取り上げてトーマスを追った。

まだ夜明けには少し間がある。
暗い中でも、トーマスは勝手知った様子で持ち場に付いている水夫たちを見回っている
ルカはトーマスの定位置である舵輪の側にランプを吊るした。
それから眠気を覚えたルカは、船室へ降りようと昇降口に足を向けた。
「なあ、ルカ。」
その背中に、甲板を一回りしてきたトーマスが声をかけた。
ルカは足を止めた。
「はい?」
トーマスの声が、船長として呼びつけるものには聞こえなかったので、ルカは小首をかしげてトーマスを振り返った。
トーマスは甲板に転がった樽に座り、ルカを手招いた。
トーマスが呼んだ用件については全く見当が付かなかったが、ルカは素直に隣へ座った。

「ちょっと考えてみたんだがな。」
トーマスは言った。視線は舷側の向こうを見ている。
「木の船じゃなくて、鉄の船を作ったら、ガガーブの嵐を通り抜けることが出来るか?」
「え?」
ルカは驚いてトーマスの横顔を見た。
「木の船じゃあ、ラップの魔法に守ってもらわないとガガーブを越えられないだろ。」
トーマスもルカの方を見た。
「魔法の助けがなくても、ガガーブを越えられるようにしたいんだ。」
淡々とした口調でトーマスは言ったが、その内容はルカにとっても驚きに値するものだった。
「鉄の硬さなら、嵐で剥がれたり割れたりしないと思います。」
ルカは言った。
「でも、キャプテン。鉄はとても重いです。」
ルカの指摘に、トーマスは腕を頭の後ろで組んで、大きなため息をついた。
「だよなぁ。」
「今のエンジンを積んでいるせいで、プラネトスII世号の喫水はかなり深いです。船全部が鉄になったら、どんな事になるか。」
ルカは思い付いたままを口に出したが、頭の中では様々な可能性を探って、生来の技術者魂がめまぐるしく回転していた。
「なんか上手くいく方法はないか?」
黙ってしまったルカに、トーマスが問いかける。
「僕一人では何とも・・・。この頃は技師としての勉強もしていませんから。一度、造船所やギアの技師たちに相談してみたいです。」
ルカは肩をすぼめて、すまなさそうに答えた。
「そうか・・・」
トーマスは思案顔だ。

「それなら、ここかティラスイールで、今のエンジンと同じ奴は作れないか?」
トーマスの問い掛けに、再びルカは驚いて目を丸くした。
「ヴェルトルーナから東回りで海を抜ける航路なら、少し性能の良い船なら踏破できるはずなんだが。」
それは6年前、初代のプラネトス号が初めて成功した航路だった。
今、プラネトスII世号は、初航海よりはいくらか安全にその航路を渡る事が出来るようになっていた。
無論自分たちだけの力で、である。
「それは難しいです。エル・フィルディンの技術力は、こちらの二つの世界よりも進んでいますから。」
ルカはすらすらと答える。
「同じ性能のエンジンが作れるかどうか、こちらの技術力を調べないと判断できません。」
部品を作る技術力、求める硬さや正確さを出せる加工力。
それらが必要だった。
言葉で言うほど簡単に同じ物は作れない。
「それは、実際に船を見れば、ある程度推測が付くんじゃないか? 足の速さや加速の具合で。」
トーマスが重ねて聞いた。
「うーん、そうですね。ヌメロス帝国の軍艦はいい造りでした。でも、国が壊滅して、彼らの造船能力が下がっていないか心配です。あとは、・・・どこで作られたのか判りませんが、海賊船黒竜号。僕が機関室を覗いてみたいと思った船はその二つくらいです。」
「うん。そうだな。」
妥当な答えが返ってきたのを喜ぶように、トーマスは頷いた。
「ヌメロスの若い指導者様に、海賊王か。どっちも前途多難だな。」
トーマスはぼやいた。
「ヌメロスは俺たちの話を聞く暇があったら国を立て直したいだろうし。ラモンは論外だ。いっそ、西回りでエル・フィルディンへ抜ける航路を探索した方が早いかも知れねえな。」
今日のキャプテンは良くしゃべるな。
ルカは思った。
今まで、こんなにたくさんトーマスの胸の内を聞いたことはなかった。
そういう相談事は、もっぱらラップに持ちかけられていたのだ。

「あの、キャプテン? 聞いてもいいですか?」
ルカはトーマスに尋ねた。
先を促すようにトーマスがルカの方を見た。
「どうして急いでそんな事をしようとするんですか? ラップさんはこれからも手伝ってくれるって言ったじゃないですか。」
それはつい数日前のことだ。
ヴェルトルーナの事件が解決して故郷へ帰ったラップは、その前にいつでもプラネトスII世号のために力になってくれると約束していった。
だから、急いでラップの助けの要らない航海方法を探る必要はないと思うのだ。
「エンジン一つ完成するのに、今から何年掛かるだろうな、ルカ。」
トーマスが言った。
冷静な声には、いくらかあきらめの響きが混ざっていた。
「あ・・・。」
ルカは自分の考えの浅さに赤面する。
「ここ何年か助けてもらうのは、俺も仕方がないと思ってる。でも、奴がやっとやりたい事を見つけたのに、いつまでも俺達が世話になる訳にはいかないだろ。」
トーマスは淡々と言う。
「冒険者が奇跡を成し遂げる為に魔法の力を借りるのは有りだ。だが、商人が貿易をするのに、自在に航海予定を立てられないのは非常識だ。ラップを援助するって言っておきながら、あいつに助けられなきゃ身動きが取れないなんてな。有り得ねえよ。」
自分の非力さを嘆くトーマスを、ルカははじめて見た。
そして同時に悟った。
この人は、一番頼りにしている参謀を手放したんだ。
『だから副長の僕に、こうして相談を持ちかけてくれるようになったんだ・・・。』
胸が熱くなった。
力の及ぶ限り、助けになりたいと思った。
船のことならルカの知識が十分役に立つはずだった。
「目ぼしい造船所の能力を調べてみます。」
ルカは言った。
今までの軽い口調と違う、決意のこもった声だった。
「それに、次にエル・フィルディンへ帰ったときには、向こうの人達と相談したいです。必要なら何人でもスカウトしてきます。」
「お、そうか。」
トーマスがにやりと笑った。
それから、彼は勢いをつけて樽から立ち上がった。

「それじゃあ演奏会の前にアヴィンたちを迎えに行くのを早めよう。どのくらいあればいい?」
トーマスの決断は素早かった。
ルカは頭の中で、大急ぎで必要な事柄を数え上げた。
「鉄の船の可能性を相談することと、エンジンをヴェルトルーナで製造することの検討。僕があらかじめこちらの造船所を調べておけば、どのくらい技術指導が必要か判断してもらえるでしょう。相談するだけなら5日もあれば足りると思います。検討した結果を持ち帰りたいなら、もっと長く掛かると思いますが。」
「結果を聞くのは、またアヴィンたちを送り届ける時でいい。それじゃあ10日ほど早めよう。」
「わかりました。」
ルカはかろうじて平静な声で返事をした。
これがキャプテンの判断力。
そして自分に求められる思考の早さなんだ。
今までラップは、さも当然のように即答していた。
その能力がいかに高い水準のものだったか、ルカは身に染みて思い知らされた。
『今度会ったら、キャプテンの役に立つためのコツを教わろう。』
ルカはそう思った。

ルカは自分も立ち上がってパンパンと尻を叩いた。
「それとだな。このことは、まだラップに会っても言わなくていいから。」
トーマスが言った。
「え? どうしてですか?」
ルカは不思議に思って尋ねた。
「俺たちの都合だからな。ま、どうせ何も言わなくても感づいちまうだろうし。だからあいつに言うなら・・・」
少し思案顔になって、それからトーマスは言った。
「ずいぶん船を酷使したから、点検してもらうことにした。それでいいだろ。」
「それ、口裏合わせじゃなくて、本当に点検させてください!」
ルカはここぞとばかりに声を大きくした。
「まだダメ。」
トーマスの返事はにべもない。
「キャプテン!」
「演奏会のあとだ。それまで持たせてくれ。」
「一年後ですか。・・・わかりました。一回陸に引き上げて、ちゃんと隅々まで点検させてくださいよ。」
「ああ。そこまで待ってくれれば、気の済むまでいじってくれて構わんさ。」
その一年でトーマスが何をしようとしているのか、まだルカには想像が付かなかった。
でもきっと充実した日々が待っていることだろう。
「じゃあ、そういうことでラップには言伝を回しておく。頼むぞ、ルカ。」
「はい!」
ルカはぺこりと一礼すると、昇降口を降りていった。
先ほどの眠気はどこへ行ったか、浮き浮きする気分だった。
自分の部屋の前で、ルカはドアを開けるのをためらった。
無性にエンジンの音を聞きたかった。
ルカはきびすを返すと、最下層への階段を、スキップでもするように軽やかに下りていった。

 

2009.9.6


「それぞれの未来へ」の次に入る話になります。
前の話では、ルカの人生の方向を示せなかったのですが、彼には船乗りというよりは、技術者として充実した生き方をして欲しいなと思うようになりました。

ガガーブの3つの世界を結ぶ方法ですが、・・・というより、ヴェルトルーナと他の二つの世界を結ぶ方法ですが、船で往来出来るようにしたいですよね。ティラスイール、エル・フィルディンにはそれぞれ外洋に挑んだ船乗りの逸話があり、どれも失敗に終わっています。このうちのティラスイール(沈黙の海)→ヴェルトルーナの東端(ラコスパルマのある方)ルートを、ミッシェル&トーマス&ルカのコンビで踏破したと仮定しています。(だって、プラネトスII世号を山越えさせるなんて、冗談以外の何物でもありません。)
そうすれば後は、ヴェルトルーナ西端(ヌメロスから西へ向かう方)→エル・フィルディン(霧の海)を押さえることで、3つの世界がつながります。つまり、魔道師に頼ってガガーブを越えるのは、現実的な方法ではないということです。普通の魔道師でも大丈夫な難易度であれば、また事情は違うでしょうが・・・。

そう、ミッシェルさんがティラスイールに魔法を広めたのなら、トーマスとルカには「ガガーブの向こうに世界はないと信じられていた時代の終わり」を実現していただきたいなーと思うのです。一代では無理かもしれませんが。