ジュリオとクリス、それにラップ爺さんという珍しい三人連れがディーネ湖の畔で薬草摘みに精を出していた。
とはいっても、ラップ爺さんは元々高齢だし、クリスはジュリオに指示を出したら用事は済んだとばかりに四葉のクローバーを探しているしで、
柔らかなつやつやした薬草の若芽をせっせと集めているのはもっぱらジュリオ一人であった。
「クリスも手伝ってよ。」
小さな声でジュリオがつぶやく。決して面と向かって怒鳴ったりしないのが二人の関係というものであった。
「二人でむしり取ったら薬草がなくなっちゃうでしょ? ジュリオが摘んでくれるくらいがちょうど良いのよ。」
間髪入れずに言い返されて、しかも小首を傾げてにっこりされて、ジュリオは開いた口をもごもごさせ、それから仕方なく薬草摘みの作業に戻った。

ラップ爺さんは二人から少し離れた場所で、ひとつひとつ吟味しながらゆっくり籠に収めていた。
元々一人で麓へ降りようとしたら、ジュリオが見つけて同行を言い出し、さらにクリスが自宅のチャッペルで使う薬草だからと加わってきたのだ。
昨秋成人の儀式となる巡礼の旅を終えたこの若者二人は、とある成り行きでラップ爺さんとそれまでより深い友人となった。
厳しい冬の間、様子伺いに、あるいは単に話し相手として、ジュリオとクリスは頻繁にラップ爺さんの小屋を訪問した。
自分たちの巡礼の話、50年も前にラップ爺さんが渡ったという異国の話、そして巡礼の旅の最後に待ち構えていた途方もない大きな出来事について、三人は言葉を交わした。
久しぶりに一人きりでない冬を過ごしたとラップ爺さんは若い二人に感謝していた。

「道標を見つけたら、ラグーナへ向かってお進みなさい。」
少し離れたところで落ち着き払った老人の声が聞こえ、三人は声の方を見やった。
ディーネのシャリネの方から、衣をまとった老人と、杖を携えた若い女性が歩いてくるところだった。
「あら、あの人魔法使いかしら?」
クリスが女性を見て、惹かれるように立ち上がった。
「きれいな人だね。ボクらより少し年上かなあ。」
ジュリオも手を止めて、腰を浮かせた。
「ジュリオったらそういうところはしっかり観察してるんだから。」
クリスが唇を尖らせた。
「そ、そんなこと・・・、あるけど。」
ジュリオは視線を落としてポリポリと頭を掻いた。
「ふーん、あるんだ。」
クリスはますます唇を尖らせた。

「おや、ラップさん。山を降りてきたのですか?」
三人の近くに差し掛かった賢者は、草原にのんびり座り込んでいる老人の姿を認めて声を掛けた。
「これはこれは賢者様。いい日和ですでな。」
ラップ爺さんは上体を揺らせて挨拶をした。
「賢者様こんにちは。」
クリスは、昨年の巡礼で世話になった賢者に頭を下げた。
「ああ、こんにちは。暖かくなってきたね。」
ディーネのシャリネの賢者は鷹揚に頭を下げた。
「こんにちは、お嬢さん。」
賢者と一緒に歩いてきた女性が挨拶をしてきた。
「はじめまして。私、クリスと言います。」
クリスが挨拶を返すと、女性のエメラルド色の瞳が楽しそうに輝いた。
「あ、あの、ボクはジュリオです! はじめまして!」
ぴょんと立ち上がったジュリオが、クリスに並んで挨拶をした。
「ふふ。丁寧にありがとう。」
女性はにこやかに言った。
背丈はクリスより頭半分ほど高いだろうか。少しウェーブのかかった髪は墨のように黒くて、豊かで、背中まで垂れていた。
「あのう、お姉さんは何て言うんですか?」
ジュリオが興味津々な様子で尋ねた。
「ちょっとジュリオ、いきなり失礼でしょ。」
クリスがたしなめるとジュリオは肩をすくめた。
「ゴメン。」
ジュリオはあわてて口をつぐんだ。
二人のやり取りを聞いていた女性が、口元に手を当てて笑い出した。
「仲が良いのね。ええ、わたくしは・・・」
女性は少し間を置いて言った。
「わたくしのことはエスフィンと呼んでくださいな。」
「エスフィンさんか。素敵なお名前ですね。」
ジュリオがばっちりとフォローした。

「そうだ。もし分からないことがあったら、こちらの二人に聞くとよろしい。巡礼の先輩ですよ。」
ディーネの賢者はエスフィンに話し掛けた。
「あら、あなたたちも巡礼を?」
エスフィンは興味を持ったようにジュリオとクリスを見た。
「うん。去年の秋にシャリネを回ったんです。」
「昨年の秋・・・」
小さな声でつぶやくように、エスフィンはジュリオの言葉を繰り返した。
「どうしたんですか、お姉さ・・・じゃない、エスフィンさん。」
「あ、いえ、何でもないの。わたくし、この世界のシャリネを巡礼するつもりなのですけど、道がよく分からなくて。」
エスフィンは不安そうな顔を見せた。
「へえ、お姉さんも道に迷いやすかったりするのかな。」
ジュリオが仲間を見つけたような得意顔になった。隣でクリスが呆れ顔をしているのには気付かないふりをした。
「故郷の事のほかは、何も知らないんです。シャリネの場所も、ここ以外は記録が無くなってしまって。」
エスフィンは残念そうに目を伏せた。
「エスフィンさんの村は、巡礼の習慣が途絶えてしまったんですか?」
クリスが尋ねた。
エスフィンは、遠くを見るようなまなざしで答えた。
「ええ。もうずっと長い間、途絶えてしまっていたのです。」
「僕たちの巡礼も、村では久しぶりだったんだよ。でも賢者様が次のシャリネを教えてくれるよ。」
ジュリオが言った。
「ディーネ、テグラ、イグニス、シフール、オルドス。この五つのシャリネを順番に訪ねるの。簡単な道のりじゃないけど、きっと皆が助けてくれるわ。私たちの時もそうだったもの。」
クリスも言った。
「これはこれは、二人に聞いて正解だったようですね。」
シャリネの賢者が嬉しそうに言った。
「はい。ありがとうございました。」
エスフィンが頷いた。
「では私はこれで失礼しましょう。」
賢者は一同に頭を下げると、シャリネへの道を戻っていった。

「そうだ、クリス。僕たちでラグーナまで送ってあげようよ! 歩きながら色々教えてあげられるよ。」
ジュリオがポンと手を合わせて提案した。
「え、いえ、そこまでしていただくなんて・・・」
エスフィンは慌てて言ったが、ジュリオとクリスはすでに一致団結していた。
「それがいいわね! ジュリオ、たまにはいい事言うじゃない。」
「えへへ。たまにじゃないつもりだけどね。」
二人はさっそく身支度を始めようとしていた。
ジュリオは薬草の入った籠を、申し訳なさそうにラップ爺さんの前に置いた。
「ラップ爺さん、僕たちエスフィンさんをラグーナへ送ってくるから。悪いけど、一人で村へ帰れるかな。」
「ゴメンね、ラップ爺さん。勝手に付いて来て、また勝手をしちゃって。」
クリスも済まなさそうに言った。
「ジュリオ、それにクリスチーナ。」
それまで黙って聞いていたラップ爺さんが、少し改まった様子で二人を呼んだ。
ジュリオとクリスはハッとしてラップ爺さんに注目した。
「お前たちの親切は素晴らしいことじゃ。一人きりの巡礼では心細い事も多いじゃろうしな。」
「うん・・・」
ジュリオは生返事をした。
「だが、巡礼の旅は成人するための旅でもあるのじゃ。大人になったら、親切を受けるばかりが良い事ではない。まず自分で見て、自分で考え、時には迷うことも大切な経験ではなかったかな?」
「・・・・・・」
ジュリオとクリスは黙ってラップ爺さんの話を聞いていた。
二人だけではない。エスフィンもまた、ラップ爺さんの言葉に耳を傾けていた。
「でもラップ爺さん、エスフィンさんは巡礼の事を殆ど知らないんだよ。」
ジュリオがあきらめられない様子で言った。
「僕たちが体験した事を話してあげてもいいでしょう?」
少しむくれてジュリオが言った。その隣で、クリスがハッと目を見開いた。
「ちょ、ちょっと待ってジュリオ。」
クリスがジュリオの袖を引っ張った。
「何だよクリス。」
「ラップ爺さんの言う通りかも知れないわ。ラグーナまで送ってあげるのは、ちょっと親切が過ぎるかも。」
「ええっ、クリスだってさっきは賛成してくれたじゃないか。」
「そうだけど・・・。でもほら、シャリネで見た事はあまり話さない方が良いって言うでしょ。」
クリスは語尾に少し力をこめてジュリオに言った。
「それは、その通りだけど。」
ジュリオはまだ納得していなかった。
クリスは叫びたいのを一生懸命我慢した。
『私たちが見たり体験した事を、普通の巡礼の人に話せるわけないじゃないの! ジュリオのバカ!!』
「それでは、ルデラとラグーナに分かれる道標のところまでだったらどうじゃ? そのくらいなら、わしがここで待っていてもすぐに戻って来られるじゃろう。」
ラップ爺さんがジュリオに言った。
「う、うん・・・」
「お爺様のおっしゃるとおりですわ。わたくしは一人でも大丈夫。分かれ道を教えてもらえるだけで十分です。」
エスフィンがジュリオに言った。
「うーん、エスフィンさんがそう言うなら。」
とうとうジュリオも折れた。
クリスが安心したようにホッと息をついた。

「時間を取らせてしまったのう。」
ラップ爺さんがエスフィンに言った。
「いいえ、親切にしていただいて感謝しております。わたくしは自分の目でこの世界をつぶさに見て参りたいと思います。」
エスフィンは礼儀正しく答えた。
「ほほう、それは頼もしい。」
ラップ爺さんは、自分のあごひげを撫でながら目を細めた。
「五つのシャリネを巡って、もっと語り合いたい事があったら、その時には是非この子たちの事を思い出してやってください、リコンヌさん。」
「!!」
エスフィンの顔に驚きが走った。もっともそれは、ジュリオとクリスも同じだった。
「違うよラップ爺さん!」
「こちらはエスフィンさんよ、ラップ爺さん!」
異口同音に二人が嘆いた。
「おや、そうじゃったかのう。すまんすまん。」
ラップ爺さんはニコニコ笑ったまま何度も頭を下げた。
「きっとまた、お伺いしますわ、お爺様。」
エスフィンが膝を折り、真剣な顔でラップ爺さんの手を取った。
「その時には、もっとたくさんお話をさせてくださいませ。」
「これはどうも。」
ラップ爺さんは愛想を崩した。
「さあ、ジュリオ、クリス、遅くならないうちに行っておいで。」
ラップ爺さんは二人の若者を見上げた。
「どうなってるの?」
ジュリオは成り行きが理解できないという顔をした。
クリスも首を横に振った。
「さあ、行きましょ!」
クリスはジュリオにハッパを掛けた。エスフィンも立ち上がった。
エスフィンが片手に持った杖は白い金属で出来ていて、彼女の背より少しだけ長かった。
先端に透き通った丸い石が嵌め込まれており、飾りはそれだけのシンプルな杖だった。
ふと、懐かしい魔女の面影がエスフィンに重なったような気がした。
「じゃあ行ってきます!」
「ラップ様、ごきげんよう。」
エスフィンが会釈をして、ジュリオとともに歩き始めた。
数歩二人の後を追ったクリスは、ふと足を止めてラップ爺さんに駆け寄った。
「何じゃねクリス。」
茶目っ気をたたえた目がクリスを見上げる。
「あとでた~くさんお話をさせてくださいませ、お爺様。」
クリスが言うと、ラップ爺さんが笑い出した。
「わかったわかった、行ってきなさい。」
「は~い。」
クリスはまた駆け出した。
三人の若者が並んで歩いていく。
それを見送りながら、ラップ爺さんは新しい春が来たことを身に染みて感じていた。

2012.2.5.