ヴァルクドの正神殿。
与えられた部屋で休息していたアヴィンとミッシェルは、いささか手持ち無沙汰であった。
ガウェインは、正神殿の相談役でもあり、二人とは別に自分の部屋を持っていて今日も忙しく働いている。
ルティスは別の部屋だったし、何より今日はシャノンと二人で朝から厨房にこもりっきりであった。
何をしているのか興味はあるが、わざわざ聞きに行くのも恥ずかしい気がした。
厨房からは、先程から甘ったるい匂いが漂ってきていた。

アヴィンは傍らに立て掛けてあった剣を取り上げた。
ずっしりと重みのある剣。 ザールの祠で手に入れた、神を切るという剣、エリュシオン。
鞘から抜いて、すらりとした刀身に見入る。
「落ち着かれたらどうです?」
片肘をついて読書に余念のないミッシェルが声を掛けた。
この異国の魔道師は、ヴァルクド神殿の書物を読破してしまうつもりなのかもしれない。
彼の机には、書庫から借り出した分厚い書物が文字通り山と積み上げられていた。
「焦ってなんかいないさ。」
アヴィンは少々とげのある返事をした。
「封印の地へ乗り込むのに、休息なんて要らないのに。」
「あなたはそうでも、カウェイン殿や、他の騎士団の方たちと歩調をあわせる必要があるのでしょう。
今は緊張を解いて、身体や神経を休ませるべきですよ。」
アヴィンはエリュシオンを鞘にしまった。
「いいよなミッシェルさんは。する事があって。」
「あなたもルティスさんでも誘って、身体をほぐしてきたら良いでしょう。休息中でも訓練は大事ですよ。」
「今日はなんだか忙しそうなんだよな。」
「さみしいですね。」
「ど、どういう意味だよ。」
アヴィンが顔を赤らめた。
思ったとおりの反応が返ってきて、ミッシェルは笑った。

コンコン。
控えめに扉が叩かれた。
「誰だい?」
アヴィンが扉を開くと、ルティスが緊張した面持ちで立っていた。
「ルティス、どうしたんだ?」
「あのね、アヴィン。受け取ってもらいたい物があるんだけど・・・。」
よく見ると、ルティスは両手を後ろにしている。何か手に持っているようである。
「入れよ。」
アヴィンは扉を開いてルティスを通した。
部屋に通されたルティスは、机で読み物をしているミッシェルと目が合った。
慌てて目をそらしたルティスの様子を見て、ミッシェルは思うところがあったようだ。
ミッシェルは立ち上がって、机の上の本を抱えた。
「私はちょっと書庫で調べ物がありますから。ルティスさん、どうぞごゆっくり。」
そのまま二人の返事も聞かずに部屋を出て行く。
「?」
怪訝な顔でミッシェルを見送ったアヴィンは、突然目の前に突き出された箱に仰天した。
「な・・何?」
きれいな包み紙で包装してある箱だった。
「あのね、シャノンから聞いたの。今日は特別な日なんだって。」
ルティスが、顔を赤らめて言った。そして、箱をアヴィンの胸に押し付けた。
「特別?」
反射的にルティスから箱を受け取りながらアヴィンが聞いた。
「自分の大切な人への想いを形にしてプレゼントする日だって。そうしたら、きっと願いはかなうんですって。」
「・・・・・・」
信じられない言葉を聞いたようにアヴィンが目を見開く。
ルティスは真っ赤に頬を染めながらも、まっすぐにアヴィンを見て、言った。
「アヴィン、これ・・・私の気持ち。受け取って。」
「ルティス・・・」

書庫での調べ物を済ませてしまい、ミッシェルは正神殿の庭に出てきた。
アヴィンとルティスはお互いを癒す事が出来る間柄のようであった。
特にこんな、ぽっかりと空いた時間は、心の休まる者と一緒にいるのがいい。
心神の充実は、いずれ戦いの場において、良い方向へと彼らを導いてくれるだろう。
部屋に戻って邪魔者になるのはミッシェルの望む事ではなかった。
行く当てもなく、ミッシェルは庭を歩いた。
まだ春と言うには少々早い。
ローブにまとわりつく風は冷たかった。
『しかし、本でも読んでいない限り、本当にする事がありませんね。』
もう一度書庫へ戻ろうと思って回れ右をしたとき、ずっと先の方で、ぽつんと立つ人影が目に入った。
うつむき加減で、両手で胸を抱き、天を仰いだり、うつむいて大きくため息をついたり。
思い悩んでいる様子が手に取るようにわかった。
『あれは、シャノンさん。』
アヴィンの知り合いの少女である。
アヴィンの親友マイルに一目惚れして、大陸のこちらまで追いかけて来たと言う。
今はこの神殿で働きながら、アヴィンがマイルを連れ戻してくるのを待っているのだ。
普段は底抜けに明るく、不安そうな顔を見せないシャノンだが、今は年頃の女の子らしい様子で、何事か思い悩んでいるようだった。
ミッシェルが側に近づく前に、シャノンはぼんやりとした様子で正神殿の門を出て行った。
『この寒い中、どこへ行くのだろう。』
ミッシェルはしばしの間、シャノンが出て行った門の前にたたずんでいた。

「あ、ミッシェルさん、シャノンを見かけませんでした?」
書庫から出てきたミッシェルにルティスが声を掛けた。
ミッシェルがシャノンを見かけたのは昼間である。
今はもうとっぷりと日が暮れていた。
「まだ日の高いうちに門から出て行くのを見ましたが・・・。ルティスさんがアヴィンさんを訪ねたすぐ後ですよ。」
「神殿の外へ?まだ戻っていないのかしら。」
「帰らないんですか?」
「ええ。食事にも来ないの。シャノン、今日はいつもとちょっと違ったから、とても気になって。」
「そういえば様子が変でしたね。何かを大事そうに抱えているようでしたが。」
「私、ちょっと探してきます。」
「私も行きましょう。」

結局、手の空いた者が手分けをしてシャノンの捜索が行われた。
彼女は町の水路のほとりでボーっとしているところを発見された。
胸には四角な箱が、大事そうに抱えられていた。
「シャノンさん、神殿に帰りましょう。」
抱えられるようにして神殿に戻ってきたシャノンは、心ここにあらずといった様子だった。
「シャノン、皆に迷惑を掛けちゃだめじゃないか。」
神殿の入り口まで迎えに出ていたアヴィンがシャノンを叱った。
シャノンは呆然と立っているだけだった。
「オイ、聞こえているのか、シャノン。」
腕を掴んで揺さぶろうとして、その腕があまりに冷たいのでアヴィンがギョッとする。
「・・・マイルさまが・・・」
小さな声がシャノンの口から漏れた。
「マイルは・・・ここにはいないんだよ、シャノン。」
「・・・マイルさまは、きっと帰って来るって・・・」
凍えた声で、シャノンはつぶやいた。
「聞き分けのない事を言うなよ。みんな必死で探したんだぞ。ちゃんとごめんなさいって謝れよ。」
「・・・・・?」
アヴィンの言葉も、シャノンには通じないようだった。
「シャノン、いいかげんにちゃんとしろよ。」
さすがに忍耐も切れて、アヴィンが声を荒げた。
「何をしているんです。」
アヴィンを押しのけて、ミッシェルがシャノンの前に立った。
「すっかり凍えています。もう頭が働かないに違いない。毛布でくるんであげて。暖かな部屋で、スープか何か飲ませてあげてください。」
ミッシェルの言葉に、神殿の中で待ち構えていた者たちがシャノンを介抱しに出てきた。
「アヴィンさん、言い聞かせるのは後でもいいでしょう。今は休ませてあげなさい。」
「あ、ああ。・・すまない、気付かなくて。」
アヴィンは自分の融通のなさを謝った。

シャノンは暖かな毛布の中で気が付いた。
身体を動かすと、誰かが声を掛けてきた。
「正気づきましたね。もう大丈夫ですよ。」
声と一緒に大きな手のひらがシャノンの額を覆った。
「体温も回復しましたね。」
「・・・マイルさま・・・では、ないのですね。」
「残念ですが違います。マイルさんを探していたのですか?」
「・・・帰っていらっしゃるのを、待っていたんですの・・・。だって、どうしても渡したかったんですもの。・・・あっ!」
シャノンは上半身をばっと起こして、身の回りを捜した。
「あなたが抱えていた物ですか?」
ミッシェルは、スープやお茶の置かれたテーブルから、四角い箱を取り上げてシャノンに渡した。
「ありがとう。」
シャノンはその箱を大事そうに抱きしめた。
「大切な物なんですね。」
「シャノンの手作りのチョコレートですの。今日ルティスさんと一緒に、心を込めて作ったんですよ。
このチョコレートを大切な方に渡せたら、想いが通じるんですの・・・。」
最後のほうは、独り言を言うようなつぶやきであった。
「マイルさまにお渡ししたくて、町へ出て待っていたんですの。でも、でもやっぱり帰っていらっしゃらなくて・・・。」
シャノンはうつむいた。
ミッシェルはそろそろ大丈夫そうだと見当をつけた。
「マイルさんのことは、アヴィンさんたちにお任せなさい。もちろん私も精一杯のことはさせていただきます。」
「・・・ミッシェルさま。ありがとうございます。」
「まだ体が疲れていますからね。ポットに温かいお茶が入っています。これを飲んで温まっておやすみなさい。
そして、明日目が覚めたら、ここの人たちにお礼を言うんですよ。」
「はい。」
シャノンはおとなしく頷いた。
「では私はこれで。」
「あ、あの・・・」
「?」
「あの~、これ!」
シャノンはミッシェルの前にチョコレートの入った箱を差し出した。
「え?」
「受け取ってください!」
「あの・・・、私ですか?・・・」
ミッシェルはかろうじて言葉を搾り出した。
昼間のルティスの様子からも、先程のシャノンの様子からも、このチョコレートがただのチョコレートでない事は明白だ。
そんな重い想いのこもった物、はいそうですかと受け取るわけにいかないではないか。
「シャノンの願いはマイル様が無事に帰っていらっしゃる事ですの。ミッシェルさま、どうかシャノンの願いをかなえてください。」
真剣に頼む姿に、断るとは言えなかった。
「そういうことでしたら、お預かりしましょうか。」
ミッシェルはシャノンからチョコレートを受け取った。
「ありがとうございます!」
にっこり笑ったシャノンの両目から、急にぼろぼろと涙がこぼれ始めた。
「あ、あれ、どうしたんですの。シャノンったら、おかしいです~。」
ぬぐってもぬぐっても、涙が止まらなかった。
とても見ていられなくなって、ミッシェルはシャノンの肩に手を置いた。
「あなたはずっと一人で気を張っていたんですよ。思い切り泣いてしまえばすっきりしますよ。」
「ひっく、ひっく。」
ミッシェルの胸を借りて、シャノンはしばし泣きじゃくった。

次の日。
「ミッシェルさん、これどうしたんだ?」
ミッシェルの机の上のチョコレートの箱を見てアヴィンが聞いた。
「いただき物ですよ。」
ミッシェルは澄まして答えた。

コンコン。
扉が叩かれた。
「あの~、ミッシェルさまは?」
シャノンだった。
アヴィンは目を丸くしてシャノンを部屋に通した。
ミッシェルは本の山から顔を上げた。
「おはよう。もう大丈夫そうですね。」
「はい。あ、ミッシェルさま、アヴィンさま。昨日はシャノンが迷惑を掛けて、本当に済みませんでした。」
「わかってくれれば良いさ。神殿の皆にも謝ってきたか?」
「はい。」
シャノンは元気に頷いた。
「あの~、ミッシェルさま。」
「なんですか?」
「あのぅ~・・・」
「俺、外に行っていたほうが良さそうだな。」
アヴィンが気を利かせて出て行こうとした。
「あ、だめですアヴィンさま!証人になってください~!」
「へ?」
アヴィンがいぶかしがるのを無視して、シャノンはミッシェルに言った。
「ミッシェルさま、昨日は私・・・、私、マイルさまに帰ってきて欲しいばっかりに、大変な事をしてしまいました。」
「チョコレートを私にくださった事ですね?」
ミッシェルが言った。
シャノンは申し訳なさそうに頷いた。
「やっぱりシャノンの気持ちはマイルさまだけに捧げるものですの。だから、このことはマイルさまが帰ってきても秘密にして欲しいんですの。」
「シャノン、虫がいいぞ・・・。」
横で聞いていたアヴィンが口を挟んだ。
シャノンは聞いていないようだ。
「いいですよ。」
ミッシェルが笑いの止まらない顔で言った。
「あなたの気持ちが少しでもほぐれたなら、嬉しいですよ。」
「あは、良かったですぅ~。」
「それでは、シャノンさん。これは私が頂いてしまう訳にはいきませんね。」
ミッシェルは机の上のチョコレートの箱を取り上げた。
ふたを取ると、ハート型のチョコレートに『大好きなマイルさまへ』と文字が書いてあった。
まったく、手を付けた様子はなかった。
「どうでしょう、ここの日曜学校の子供たちに分けてあげては。」
「うぅーん、どうしましょう。」
「マイルさんが帰ってきたら、また作ってあげればいいじゃないですか。」
ミッシェルがにこやかに言った。
シャノンも納得した顔になった。
「そうですよね。そうします。ありがとう、ミッシェルさま。」
シャノンはチョコレートを受け取ると、スキップしそうな勢いで部屋を出て行った。

「証人って、どういう事だ?」
アヴィンがつぶやいた。
「さあ。私が潔白だという事でしょうかね。」
ミッシェルがさほど興味なさそうに答えた。
「マイルさんを助けたら、あの娘はマイルさん一筋だったと言ってあげてくださいね。」
「ああ、わかったよ。」
アヴィンがにやりと笑った。
裏事情も全部話すつもりなのがよくわかる表情だった。

『あなたもあの娘も知らないんですね・・・』
ミッシェルは笑顔の下で思った。
生命の書の禁呪で操られているマイル。
それは死者にだけ使用可能な魔法だ。
たとえ、呪縛から解き放つ事が出来たとしても、そのときは死者が冥府に帰るのみ。
ここに連れ帰る事は出来ないのだ。
『・・・・・・』
でも、もしかしたら・・・。
アヴィンやシャノンのような、一途な思い、ひたむきな願いがあったら。
ミッシェルは思いを振り払うように首を振った。
夢と可能性は違う。 あまり空想の翼を広げてはいけない事を、ミッシェルは肝に命じるのだった。

010131


バレンタインデーのお話にしては、オチが暗くなってしまいました。
シャノンがあまりにも無視されていて、ちょっとかわいそうだったので、書いてみました。
でも、ミッシェルさんの胸を借りるなんて、最初の予定には入っていなかったのに。
まあ手付かずのチョコを返すくらいですから、ミッシェルさんの眼中には入っていないから、いいや(笑)。
(それでも、包装は取ってみたらしい(^^;)>ミッシェルさん。
他人の名前入りのものには手をつけませんよね、普通。ていうか、普通は贈らないって、そんなもん。)
しかし、ミッシェルさんのお話にハートの背景を張るとは!! アヴィンじゃないのが残念(笑)

最強魔道師を仲間に付けたシャノンのアタックに、果たしてマイルは耐えられるのでしょうか・・・。
(誰か、書いてくださいvv)