腕に覚えがあっても、強力な黒魔法を使えても、回復役のいない旅なんてするものじゃない。
アヴィンとルティスは、お互い心の内でそう呟きながら街道を歩いていた。
バロアからギアへ向かう街道は魔獣も強く、油断がならなかった。
手持ちのレアの護符を使い切ったうえ、先程も群れをなした魔獣と戦い、二人はへとへとだった。
「あっ!」
ルティスが道端の石に足を引っ掛けた。
数歩、危なっかしげによろめいて、なんとか体勢を立て直す。
「大丈夫か?」
横を歩いていたアヴィンが尋ねた。
「え、ええ。」
ばつが悪いのか、照れ隠しなのか、ルティスは足早にアヴィンの前に出た。
「大丈夫よ、これくらい。それより急ぎましょう。日が落ちてきたわ。」
「ああ。」
アヴィンは相づちを打つと、重い足取りで精一杯先を急いだ。

夕暮れ時に町に入った二人は、真っ先に宿屋へ向かった。
ギアの宿屋は酒場の地下にあった。
「二人部屋なら空いてるよ。」
カウンターの女性が言った。
「相部屋だってさ。」
アヴィンはややうんざりした顔で、隣に立っているルティスを見た。
できれば別の部屋に泊まりたい…いつものようにそう言い出すと思ったのだ。
「いいわよ。」
ルティスは小さい声で答えた。
「え?」
思わずアヴィンは聞き返していた。
「私は構わないから。それより早く休みたいわ。」
ルティスは力のこもらない声で言った。
アヴィンは怪訝そうに眉を寄せた。
「どうするの、お客さん。」
女性が返事を促した。
「あ、ああ、その部屋を頼む。」
アヴィンは代金を払って部屋の鍵を受け取った。
ルティスは寒気でも感じているのか、腕を抱きかかえるようにしてアヴィンの後を付いてきた。

冒険者の宿は、大抵複数で一緒に泊まれるように出来ている。
だいたい、野宿するのも当たり前なご時世である。
屋根があるだけ有り難いのであって、一人部屋などは贅沢な望みだった。
少なくともアヴィンはそう考えていた。これまでは。
ところが、ルティスと旅をすることになって、初めてその考えを否定された。
羞恥心に頬を染め、相部屋を強く否定されては、アヴィンの経済感覚など適うべくもなかったのだ。
旅の仲間である前に男と女だということを、重く考えなかったアヴィンの完敗だった。
以来、二部屋分の出費がずっと続いているのだ。
『それがなんで、今日に限って……。』
アヴィンはさっさと奥のベッドに荷物を放り出したルティスを見やった。
ベッドに腰掛けてこちらに背を向けているが、やっと一息ついたという様子だった。
朝から晩まで歩いて疲れているのは二人とも同じはずだ。
お互いの関係だって、特段何か側に居たくなるような事が起きたわけでもない。
ルティスの気変わりの原因はアヴィンには全く見当がつかなかった。
『女ってわかりにくいよなあ…。』
心の中で呟いて全てを棚上げしようとしたアヴィンは、ルティスの肩の後ろに小さな引っかき傷があるのに気が付いた。
服が裂け、そこから覗く肌に血の塊がこびりついていた。
そして思い出した。街道で最後に戦ったのは、毒を持っている魔獣だったのだ。

「おい、ルティス、怪我してるぞ。」
アヴィンはベッドに片手をつき、もう一方の手を伸ばして肩の傷に触れようとした。
「!! 触らないで。」
背後からの気配に気付いたのか、ルティスが勢いよく立ち上がった。
アヴィンの手は落ち着く場所を失い、空を掻いた。
「肩に傷がある。毒にやられてるんじゃないか?」
アヴィンが言うとルティスは一瞬ひるんだ。
「大丈夫よ、このくらい。」
ルティスは怪我のある方の肩を押さえた。
「ちょっとかすっただけだから。」
「気付いてたのか?」
アヴィンはしかめ面をして、自分の荷物袋の中身を全部ベッドに広げた。
だが、毒消し草は一つも残っていなかった。
「ちぇっ、こういう時に限って。」
アヴィンは唇を噛んだ。
「大丈夫よ。一晩休めば毒も消えるわ。」
ルティスはアヴィンに言った。
「傷が小さいからって油断したら危ないぞ。換金して、すぐに薬を買ってくる。」
アヴィンはピスカを拾い集めて握りしめた。
ルティスは首を横に振った。
「だめよ。今、あんまり余裕ないでしょう? 毒消し草がなくても平気。」
「人が心配してるのにそういう言い方はないだろう? 大体、別の部屋なんかに泊まりたがるから手持ちが心細くなるんだ。」
アヴィンはむっとして言い返した。
「部屋代分くらいちゃんと稼いでるわよ。しばらくの間は無駄使いしないで、白魔法使いを仲間に雇う方が先決でしょう。」
ルティスの言い分ははっきりしていた。
はっきりしていたが、だからと言って命を粗末にして良いわけじゃない。
「毒を治すのが、どうして無駄使いなんだよ。」
アヴィンは自然と突っかかるような言い方になっていた。
「毒消しを使うほどひどい怪我じゃないの。本人が言っているのよ、大丈夫。アヴィンが気にしすぎるだけよ。」
ルティスは諭すように丁寧に言った。丁寧すぎるほどに。
「勝手にしろ!」
アヴィンはピスカを持ったまま、乱暴に部屋の扉を開けて出て行った。
立ったままそれを見送ったルティスは、ややあってから深いため息をつき、重い足取りで扉を閉めた。
それからまたゆっくりと自分のベッドへ戻ると、どさりと崩れるように身体を横にした。
固く目を閉じ、ルティスは声に出して呟いた。
「あなたと同じ部屋になんか、泊まれなかったわよ。……どんな顔して、どんな話をすればいいの。私たち、この間まで敵同士だったのよ。」

賢者の館で出会ってから、ずっとアヴィンを、いや、アヴィンの持っているカベッサを追い掛けてきた。
ボルゲイドと先を争うように神宝を探し、隙あらば奪おうと見張っていた。
それが自分の使命だと信じていた。
ボルゲイドの呪いを身に受けたとき、自分の信仰するオクトゥムが、血生臭い殺生と略奪に明け暮れる集団だとわかったのだ。
死を覚悟した苦しみを救ってくれたのは、アヴィンだった。
北の果ての島まで、薬を取りに行ってくれたのだ。
どれほど感謝しても足りないとルティスは思っていた。
だが、素直にそれを言葉にして告げることは出来なかった。
自分がアヴィンにどれほど酷い事をしていたか、憎まれていたか、判り過ぎるほどに判っていた。
外を歩いている日中はいい。周りの事でいくらでも気を逸らせた。
だが、一日の終わりの気を休めるひとときに、気軽なやりとり一つ出来ないことが耐えられなかった。
何を言っても後悔してしまいそうだった。
それならいっそ、自分だけの部屋に閉じこもっていた方が楽だった。
『一緒に旅をしたいなんて、私が馬鹿だったんだわ…。』
ルティスは自分の身体を掻き抱いた。
毒のせいで身体がだるかった。
陰鬱な気分の自分の心、そのままのようなだるさだった。

「お客さん、開けとくれ。お客さん!」
不意に扉の外で女性の声がした。
ルティスはゆっくり目を開けた。
「怪我したんだって? 診てあげるよ。」
ルティスははっとして顔を上げた。
体がふらついたが、何とかふんばって立ち上がった。
扉を開けると、エプロンを着けた恰幅のいい女性が、水差しや薬瓶の乗った盆を持って立っていた。
「あんたの相棒に頼まれたんだよ。毒にやられて死にそうだから助けてくれって。」
「えっ?!」
ルティスは驚いて声をあげた。
「入れとくれよ。」
かって知ったる様子で入ってくる女性を用心も忘れて受け入れる。
「死にそうなんて大げさだわ。少しかすっただけです。」
否定しながらも、ルティスは頬が紅潮してくるのに気付いていた。
アヴィンが心配をしてくれたのだ。
「歩けるんなら大丈夫そうだね。でも油断は禁物だよ。これからひどくなるかもしれない。傷はどこだい?」
女性はベッドに盆を置くとルティスを手招いた。
「肩の後ろ側なんです。ところで、あなたは?」
ルティスはやっと用心を思い出して尋ねた。
「ここの女将だよ! 忙しい時間なんだ、早くしとくれ。」
「あ、は、はい!」
ルティスは怪我をした方の肩が見えるようにベッドに座った。
「ああ、確かに毒だね。肩を出してごらん。」
「はい。」
ルティスは上着を脱いだ。肩を動かすと傷がひきつれて痛みが走った。
女将はまず水で丁寧に傷口を洗った。
少し熱を持っていたらしく、水の冷たさが気持ちよかった。
それから布にたっぷりと毒消し草を付けて傷口の上に貼り付け、包帯で固定した。
「これでいいね。」
女将は自分の処置に満足して片付けを始めた。
「あとはゆっくり休むことさ。朝には良くなるよ。」
「ありがとう、女将さん。」
ルティスは服を着て礼を言った。
「いいんだよ。相棒からはしっかり代金を貰ったからね。」
「あら。」
ルティスは女将のしたたかな返事に目を丸くした。
「あんたたちはまだ新米かい? 男女で組んでる冒険者は割と連れ合ってるもんだけど、こんな初心な二人連れもあるんだねえ。」
「そ、そんなんじゃありませんっ!」
ルティスは真っ赤になって否定した。
「私たちはただ、目的が同じなだけで、連れ合いなんてとんでもありません!」
むきになって主張するルティスに、今度は女将の方がびっくり顔になる。
「それに、……きっと彼は、私を許さないわ。」
ルティスはうつむいた。
「おやおや。本当に若いねえ。まったく、許さない相手を気遣ったりするもんかい。」
女将の言葉に、ルティスは顔を上げた。
「……そう、かしら。」
不安がいっぱいで、希望の糸にすがり付くのさえためらうルティスに、女将は笑い掛けた。
「当たり前じゃないか。あんたたちがどんな関係だか知らないけど、もっと自信を持ちな。」
「そうかしら。私、許してもらおうって考えても良いのかしら。」
ルティスは泣き笑いのような笑顔を女将に返した。
「私にはあんたを心配してるようにしか見えなかったよ。ここで毎日旅人の顔を見ている私がだよ。」
女将は盆を持ち上げて扉を開けた。
そこで女将は、思い出したように振り返って言った。
「下でふてくされて飲んでるよ。あとで礼の一つも言ってやんな。」
「ええ。ありがとうございました。」
ルティスは女将に深々とお辞儀をした。


「ルティス、どうだ具合は?」
治療を受けたあと、うとうとしていたルティスは、声を掛けられて目を覚ました。
ベッドの傍らで、アヴィンが心配そうに覗き込んでいた。
「だいぶいいわ。女将さんに頼んでくれたのね。」
「大金ふんだくられたけどな。また稼がなきゃならないぜ。」
「ううん、いいのよ。」
ルティスは女将の言った言葉を思い出した。許しを請いても良いのだ。
「あのね、アヴィン。あたし……あなたの側にいるのが怖かったんだわ。ついこの間まで敵だったのに、一緒に行動して。自分が軽々しく思えてやりきれなかった。」
「ルティス……。」
「でももうやめるわ。部屋も一緒でいい。一人で悩んでいても解決はしないもの。辛いことも苦しいことも、あなたに話すわ。うるさいかもしれないけど、よろしくね。」
胸につかえていたものを吐き出して、ルティスはそれだけで気持ちが軽くなるのを覚えた。
「身勝手な奴だな。」
アヴィンが言った。だが、その瞳は笑っていた。
「一人で食事してもつまらないんだ。起きられるなら一緒に食べないか。」
アヴィンが手を差し出した。
「え、ええ…。」
アヴィンが照れくささを隠しているのがわかる。
頬が熱くなった。
ルティスは精一杯平静を装ってアヴィンの手に手を重ねた。

2004.2.7


アヴィンとルティスと言ったら、BGMは「封印の地」で決まりですね。
地下神殿を颯爽と駆け抜けていく二人。すっごく絵になるなーと思います。
この話はそんなパートナーになる前の、成りたてグループの二人です。アヴィンはともかく、ルティスはかなりアヴィンのことを意識してたんじゃないかと思うんですよ。でもそれを素直に表に表さないのがルティスらしいところで。
ルティスは新旧で役割も似てて、行動もそんなに変わらなかったんですが、性格は激変していたと思うんです。私は彼女がベリアス卿の事をいつ「ベリアス」と呼び捨てにするかと楽しみにしていたんですが…。

旧版・新版の違いについてですが、 旧:レアの護符=新:レアの秘薬です。
旧版のルティスは黒魔法専門で、白魔法を持っていません。アヴィンの魔法を決める時、賢者レミュラスから「黒魔法・白魔法・精霊魔法は、どれか一つしか覚えられない。」と教わりました。二つ以上の系統の魔法を一人で修めることは不可能orご法度と設定されていたようです。