癒しの館

01

小さな家の裏手にある雑草だらけの狭い庭が、ラップの遊び場だった。
友だちと一緒に遊んだ記憶はない。
ひとりで家の壁に背中を預けて、風を起こしたり、水玉を作っては投げつけたりして遊んでいた。
ある時、好奇心で炎を呼んでみたこともある。
指先にともった炎は妖しく熱くて、自分のしていることが怖くなって炎を消そうとやっきになったものだ。
そんなときに限って、大人に見つかってしまうのは、偶然なのだろうか。
それともこの世界のどこかで、誰かがみんなを見ているのだろうか。
風は目に見えないし、水は地面に落ちれば吸い込まれて消えてしまう。
でも炎は違う。指先にともった炎は目に見えるし、あわてて振り払った炎は、運が悪ければ辺りの物に燃え移ってしまう。この時は、何も焼いたりしなかったけれど。
魔法を使っていたことがわかると父親は、…多分、大きな大人は父親だっただろう…ラップを怒鳴りつけた。
首根っこを掴まれて、家の中へ放り込まれた。
閉ざされた狭い部屋で、ラップは母親が扉を開いてくれるのを空腹を抱えながら待ち続けた。

ラップは魔法使いだった。
誰に教わったものでもない。
子どもが歩くことを覚えるように、砂遊びを覚えるように、ラップは風起こしを覚えた。
手のひらにすくった水を、ビー玉のように丸めて転がすことを覚えた。
後ろめたさを持たない魔法は村人の目に触れて、やがて噂が立った。
ラップの生まれたティラスイールでは、魔法使いは恐れられる存在だった。
自然を我が物のように従え、魔獣と互角に渡り合い、人目を避けて闇夜に動く者と思われていた。
山賊や海賊と同じ世界に住まうものと思われていた。
大きな町のように、人々の信頼を得た治療師や薬師でも村外れに住んでいれば、そこの使い走りにでも使ってもらえたかもしれなかった。
だが、その小さな村に他に魔法使いはいなかった。

ある時突然、ラップの一家は旅に出た。
荷車の上には他の兄弟が座っていたような気がする。
ラップは彼らの隣に座るよりも、初めて見る景色の中を歩きながら自然の息吹を感じることを楽しんだ。
家財道具を積んだ荷車を引いて何日も歩いた。
やがて地面が湿り気を含み、足元が悪くなってきた。
荷車が深く地面にめり込んで立ち往生してしまった。

母親がラップの手を引いて道を先に進んだ。
他の家族は付いて来なかった。
彼らは荷車に腰掛けて休憩を決め込み、ラップに関心を払わなかった。
足元はますます悪くなった。
雨上がりでもないのに、所々に水溜りさえあった。
道が悪くなるにつれて、道の両側の木立が減って見通しが良くなってきた。
道の先に古びた大きな館が見えてきた。
どことなく薄暗い陰気な建物だった。
足を止めたラップを、母親はぐいぐいと引っ張って先に進んだ。

石造りの門は大人が背中を屈めなくても通れるくらい高かった。
石の壁は建物をぐるりと囲んでいて、門をくぐるまでは中がどうなっているのか全く見えなかった。
門扉は開かれていた。
ラップたちが中へ入ると真正面に大きな建物が建っていた。
先程陰気な気配を感じた建物だ。
壁は苔やツタに覆われていた。
目を上げると窓が縦に三つ並んでいた。三階建て。大きい。横幅も奥行きも大きかった。
建物の横には野菜畑があった。
何人もの子どもや若者が土を耕したり、収穫をしていた。
「何か用?」
年長の子どもがラップたちを見つけて声を掛けてきた。
母親が何か言うと、子どもが建物に入っていって、今度は大人が一人出てきた。
裾の長いゆったりとした白い服を着て、腰を幅広の緑の紐で締めていた。
そのような格好をした男を見るのは初めてで、ラップは好奇心を持って男を見た。

パシャン。
突然、ラップの頬に水が当たった。
「うわっ!」
びっくりして辺りを見回すと、畑の中でニヤニヤ笑っている子どもたちと目が合った。
一人が片手を突き出してピンッと指先をはじいて見せると、どこから現われたものか、小さな水のボールが飛び出すのだ。
ラップはとっさに同じように腕を構えた。
だが一撃を繰り出す前にためらって、母親の方を仰ぎ見た。
母親は白い服の男に向かって熱心に話をしていて、ラップの様子に気付かなかった。
男の方がラップの視線に気付いて声を掛けた。
「一緒に遊んできなさい。君の魔法を使ってごらん。」
それを聞いてラップの顔がほころんだ。
魔法を使っていいと言われたのはもちろん初めてだった。

「えいっ。」
ラップは自分に水玉を撃ってきた子どもに向かって、同じように水玉を撃った。
「うひゃっ、冷てーっ!」
その子が叫ぶ。
「やるじゃん。」
子どもたちが口々にはやし立てる。
「遊ぼう!」
「うんっ!」
子どもたちに向かって走り始めたラップは、後ろからぐいと肩を掴まれてつんのめった。母親だった。
ラップはもがいた。
仲間のところへ行かせて欲しかった。
「ラップ、ここが好き?」
母親はラップと同じ目の高さになるように屈み込み、ラップの表情を探るように聞いた。
「すき!」
ラップは元気いっぱいに答えた。
考えるまでもなく口をついて出た言葉だった。
母親はラップをぎゅっと抱きしめた。
「ここで役に立つ魔法をたくさん覚えるんだよ。」
母親は言った。
全身で感じる母親の体温は、慣れない温かさだった。
今までこんな風に構ってもらえた記憶はなかった。
「…うん。」
ラップが戸惑いを含んだ声で答えると、母親ははっとしたように抱きしめる力を緩めた。
「いっぱい遊んでおいで。」
「うん!」
ラップは笑顔で答え、母親の腕をすり抜けると子どもたちの集団に向けて走りだした。
「来た!」
「逃げろーっ!!」
子どもたちはあっという間に散り散りになった。
逃げるばかりでなく、振り向きざまに、あるいは野菜の葉陰から水玉を投げつけてくる子どももいる。
ラップもすぐに葉陰を利用することを覚えた。
「お前ら、野菜を踏むなよ!」
年かさの少年が子どもたちに叫んだ。

さんざん駆け回って、すっかり息の上がった子どもたちは、館の壁に背中を預けて座り込んだ。
「お前、なんて名前?」
いくらか年上の子どもが聞いてきた。
「ラップ。」
ラップも息を弾ませていた。
夢中になって動き回って、汗が額から流れ落ちていた。
「何歳だい?」
今度は大分年上の少年が聞いてきた。
ラップは片手を突き出すと、五本の指を全部広げて見せた。
「五歳か。それにしちゃ、魔法が上手いじゃないか。」
少年は感心したように言った。
「えへへ。」
褒められて嬉しくなったラップは、無意識に館の門を振り返った。
「あれ?」
そこに立っていた母親がいなかった。あの白い服を着た大人もいなかった。
ラップは弾かれたように立ち上がった。
駆け出して門の辺りで周囲を見回した。
誰もいなかった。
救いを求めるように子どもたちを振り返ると、皆、視線をそらしてラップを見ようとしていなかった。
冷たいものが背骨に沿って這い上がってきた。

ラップは門の外へ駆け出した。
「おい、待てよ!」
後ろでいくつかの声が叫んだが、ラップの足は止まらなかった。
ぬかるんだ道を、やってきた方を目指して、ラップは走った。
所々に母親のものとおぼしき足跡が見えた。
たくさんの足跡と、荷車の向きを変えたらしい轍の跡を見つけたのは、道の両側に木が茂りはじめ、地面が乾き始めたあたりだった。
ラップは足を止めて道の遠くを見た。何も見えない。動くものは道の上にはいなかった。
ラップは下唇を噛んだ。
彼らは行ってしまった。
両目から熱い涙がポロポロとこぼれた。
地面に刻まれた荷車の轍が、ラップの心をえぐった。
彼らはラップをここへ置いていくために、その為だけにこの道を歩いてきたのだ。
目的を果たして、彼らは元の道を引き返して、行ってしまった。

「いたいた、おーい。」
後ろから声がした。ラップは後ろを振り返った。
背の高い少年が二人、駆けつけてきた。
「お前、すっごく足速いな。見失ったぞ。」
一人がラップの側で大きく息をついた。
「転ばなかったかい?」
もう一人がラップの前に屈みこんで聞いた。
ラップは小さく頷いた。
「いなく、なっちゃった。」
泣き出しそうになりながら、ラップは訴えた。
「うん・・・。」
ラップの正面に陣取った少年は、ラップの両肩に手を置いた。
「君が来たのは、魔法使いの住処だ。癒しの館とかオルドスの館とか呼ばれてる。病気や怪我の治らない人が直しに来る所だ。それに、君や僕らのように、魔法を使える子どもも預けられる。」
「預けっぱなしで迎えなんか来ないけどな。」
ラップの隣に立っている少年が混ぜっ返す。
「ダニーよせ。今そんなこと言わなくてもいいだろ。」
ラップの肩に手を置いた少年がたしなめる。
「どうせそのうち判る事だ。最初から覚悟した方がいい。」
ダニーと呼ばれた少年は悪びれもしない。
『迎えは来ない』
ダニーのその言葉だけが、ラップの頭の中を駆け巡った。
目の前が急にぼやけた。
「うわああああ・・!」
ラップは大声を上げて泣いた。
空を仰ぎ、全身から絞り出すように声を上げて泣いた。

(2009/10/12)