ミッシェル・ド・ラップ・ヘブン捏造企画|Junkkits

ヘブン

06

「モーリス、修行の合間の時間に町の周辺を歩いても良いですか?」
レオたちが森へ迷い込んでから数日後、ラップは朝食の折にモーリスに尋ねた。
「うん? 構わんが、何故だね?」
モーリスは聞き返した。
「この間森に入ってわかったんです。僕はこの辺の事を何にも知りません。モーリスが見つけてくれなかったら、シャリネに戻れなくて途方に暮れていました。」
ラップが言うと、レオが目を丸くした。
「そうなの、ヘブン?」
「うん。」
ラップは小さく頷いた。
「街道や、許してもらえるなら木こりの通る道なども歩いてみたいんです。」
ラップは言った。
モーリスはしばらくラップを見ていたが、やがてフムフムとつぶやいた。
「いいだろう。十分気をつけて行きなさい。」
「ありがとうございます。」
ラップは頭を下げた。
「そうだ、これからは、レオが町へ買い物にいく時にも付いて行くと良い。町のことも覚えられる。なあレオ。」
モーリスは続けて言った。
「えっ、町ですか…。」
ラップは戸惑いを隠せなかったが、レオはぱっと顔を輝かせた。
「賛成! ヘブンが荷物を持ってくれたらすごく嬉しい。」
「レオと一緒なら気も楽だろう。」
畳み掛けるようにモーリスが言った。
「はあ…、はい。」
ラップは不承不承頷いた。丸め込まれたような気がしないでもなかった。

森の中は、夏でもひんやりとして過ごしやすかった。
シフールから南下する道、東へ向かう道は草の生えない踏み固められた道が続いていた。
だが、そのほかの道となると、殆どないも同然だった。
山道は下草の勢いに埋もれて途切れていた。所々、通りやすい箇所だけに、下草の踏みつけられた跡が見つかるくらいだった。
ラップは時々空へ上がって自分の位置を確かめた。そうしてシフール周辺の地理を頭に収めると、やっと気持ちが落ち着いた。

木の上の高みから東の方角を見ると、森と山が何処までも続いていた。
国境を越え街道を行けば、やがてはテュエールの町に着くはずだが、海も見えず国境の関所すら見えなかった。
『いつかまた、行くことがあるだろうか。』
ラップは心の中で思った。今は足を向けることさえ怖い。だが、何年も経ってほとぼりが冷めたら、墓参りくらいしたいと思った。サンドラと親方と、そしてグリムゾンも。
彼のことは、ずっと考える事を避けていた。忘れたいと思っていた。
そうやって逃げていたから忘れられず、忌まわしい出来事のままだった。
だが、レオたちを助けたときに、グリムゾンの使っていた魔法を思い出したことで、何かが変わったのだ。
グリムゾンの生きていた痕跡がラップの中にあった。
ラップはその魔法を大事に使おうと思った。自分のしでかした過ちを乗り越えて残った力だと思ったのだ。
それにもう一つ、レオとボブが魔法を恐れなかったことも、ラップを前向きに考えさせる後押しになっていた。
魔法で魔獣を倒すことは皆の役に立つ。そうわかったことが自信につながっていた。

シャリネへ帰ると、レオが待ち構えていた。
「ヘブン、町へ買い物に行こう。」
嬉しそうな顔で声を掛けてくる。
「あ…、うん。」
不安が込みあげたが、ラップは断らなかった。レオの笑顔を消したくなかった。
怖くなったらレオの後ろに付いて行けばいいと思った。レオはそんなラップを見ても笑ったりしないだろう。
「あのね、冬の服を頼むんだ。だから仕立て屋へ行って、それから市場へ行こう。」
「うん、わかったよ。」

仕立て屋でレオが寸法をとってもらっている間、ラップは店の隅で待っていた。
最初に来た時とは違い、居心地の悪さは感じなかった。
「ヘブンだっけ、あんたの番だ。」
仕立て屋の主人がラップを手招いた。
ラップはレオと入れ替わった。
「こりゃあきっと去年の服は入らないぞ。」
肩幅や胸周りをテキパキと測りながら主人は言った。
「ヘブン、背が高くなったもんね。」
レオが言った。
「そ、そうかな。」
自覚していなかったので、ラップは口ごもった。
「予想したとおりだったわねえ。しばらくの間は季節ごとに寸法を見直した方がいいわよ。どんどん伸びるから。」
採寸用紙に書き込みながら女将も言った。
「いいなあ。僕も早く大きくなりたい。」
レオがつぶやいた。
「レオもあと何年かしたら大きくなるさ。よし、それじゃあ暖かい布を仕入れて作ってやるからな。モーリスさんに確かに承りましたって伝えておくれ。」
「はい、伝えます。」
二人は元気よく答えた。

市場は沢山の人で賑わっていた。
ラップはドキドキしながらレオの後ろに付いて歩いた。
最初のうちは人混みが怖かったが、やがて誰もラップのことを気にしていないのがわかって緊張がほぐれてきた。
そうすると、一つ一つの店に並んでいる様々な品物に興味が湧いてきた。
肉、野菜、川魚、果物、パン、たくさんの店があった。
鍋をたくさん吊るした金物屋、靴屋、毛皮の店。
あぶり肉やサンドイッチを売る店もある。
ふと、一人で旅をしていた頃の、街角に立っているような錯覚を覚えた。
手持ちのお金を数えて、なるべく安上がりに腹を満たそうと歩きまわった。
お金が無いときは、人手の足りなさそうな店を探して働かせてもらった。
懐かしくも苦しい記憶だった。
モーリスの、大人の庇護の下で生きる有り難さが身に染みた。
贅沢はできないが何も買えないという事もない。
二人は肉を一塊と、味付けが評判の芋の煮込みを買った。
「これ、僕が作ると同じ味にならないんだよ。」
レオは器に入れてもらった芋を見て、不満そうに言った。
「隠し味があるんだよ、きっと。」
ラップはレオに言った。
「うーん。何だろう。」
レオの探究心は頼もしい。そのうちきっと同じ味付けのものが食卓に並ぶだろうとラップは思った。

買い物の他にも、ラップには新しい日課が増えた。
転移魔法の練習だ。
ラップに全力で魔法を使わせるため、モーリスは遠く離れた草地を見つけてきた。
毎日の修行には、飛んで行くか、または転移して行くしかなかった。
最初の日は飛んでいっておおよその位置を覚えた。
そして修行の終わった後、シャリネへ帰るために転移魔法を使ってみたのだ。
無意識とはいえ、一度術を使ったことのあるラップは、それなりに自信を持って呪文を唱えた。
ところが、術は発動しなかったのだ。
モーリスに呪文を確認してもらったが、間違ってはいなかった。
心を落ち着け、精神を集中させてみても結果は同じだった。
「ふむ。君の場合、心の底から跳びたいと願わなくては発動せんかも知れんな。」
モーリスは言った。
「そういう心境に自分を追い込む訓練をするといい。それが掴めれば、術の発動を制御出来るようになるだろう。」
「はい…。」
師の言葉に頷いたラップだったが、転移したい程の心境というのは、取りも直さずテュエールから逃げ出した時の心境だった。
「あの、モーリス。」
ラップはおずおずと師に問い掛けた。
「転移に成功したとき、僕は過ちを起こして自分を見失っていました。」
「うむ。」
「この頃やっと、逃げたままでは何も変わらない事に気が付いたんです。僕はもっと沢山やるべき事があると思うんです。」
ラップの言葉に、モーリスは目を細めた。
「でも、まだ、あの時の気持ちを思い出すのは難しいかも知れません。」
ラップの主張にモーリスは答えた。
「君が一度転移を経験しているのは確かだ。過去の記憶へ降りて行き、その時の心の有り様、感情の動きを思い出してみることだ。思い出すのは辛いことだろうが、そこに手掛かりがあるのもまた事実だからな。」
モーリスの言葉をラップは心の中で繰り返した。
「わかりました。やってみます。」
「今日のところは空中散歩としゃれ込もう。」
モーリスは杖でトンと地面を叩いて浮かび上がった。
「はい。」
ラップも地面を蹴った。

「しかし、こうして弟子と連れ立って空を散歩するとは思わなんだな。」
モーリスは楽しそうに言った。
「私が修行をしていたアンビッシュには、空を飛べる魔道師も結構居たが、皆、競争心が強くてな。こういうのどかな時間は過ごせなかった。」
モーリスの口調には、昔を懐かしむ雰囲気があった。
「魔道師が沢山いるなんて、すごい国ですね。」
ラップは都市の上空を何人もの魔道師が飛び交っている様子を想像した。
「ははは。沢山と言っても全部名前を挙げられるくらいの数だ。それに大魔道師に相応しい方も居れば、その他大勢も居る。……魔法使いも人だ。欲張りも、見栄張りもいる。弟子がどれだけ城に登用されるかを競ってしまうような者もいるのだよ。」
モーリスは遠いまなざしをした。
「城? 兵士になるんですか?」
ラップは尋ねた。
「ふむ。普通の兵士とは違う。魔道師の戦う相手は人ではないからな。」
モーリスは謎掛けのように言った。
「魔獣、ですよね?」
ラップは当たり前過ぎると思いながらも聞いてみた。
果たして、モーリスはニヤニヤと思わせぶりな顔をした。
「アンビッシュの北の海にはロップ島という島があるんだが、そこは昔からドラゴンが住むと言われていてな。」
「ドラゴン…ですか。」
ラップはつい懐疑的な口調になった。それは魔獣というよりも、伝説上の生き物に分類される生物だった。
「うむ。お話の世界だと思うかもしれないが、ロップ島の辺りは船乗りがよく通るからな。目撃談が囁かれたりしているんだ。アンビッシュはドラゴンを存在すると仮定している。それに対処できる力を持ちたいと望んでいるんだよ。もちろん、周囲の国に不安を抱かせないよう、わずかな人数で構成されている。」
一度言い切ってから、モーリスは付け足した。
「…という話だがね。」
その取って付けたような言い方は、とても聞き伝えには聞こえないとラップは思った。
モーリスは、城仕えの魔道師に近いところにいたのではないだろうか。
じっと師を見つめたが、知ってか知らずかモーリスは何も言わなかった。
やがて前方にシフールの町が見え始めると、二人は高度を下げて街道に降り立った。
「空の散歩も楽しいものだが、転移を覚えると時間が掛かるように感じるな。早く覚えるのだぞ、ヘブン。」
「わかりました。努力します。」
ラップは師に約束した。

転移した時の心境を思い出すために、ラップは毎日記憶をたどることにした。自分の部屋でマットを敷いた上に座り、テュエールの記憶を呼び起こす。
自分の過失や人の死を思い返すのは辛く、最初のうちは心が乱れて転移した時の記憶にたどりつけなかった。
グリムゾンとの死闘、サンドラたちの悲鳴、人を飲み込んだ火球。
自分のした事に呆然としていた時間と、あの場にいた人々の視線や言葉。
胸が締め付けられるような痛みがこみ上げてきて、なかなか正確な記憶を思い出せない。
だがラップは諦めなかった。
悲しみがつのった時には、我慢せずに泣いた。
自分の未熟な行動をたどり直して過去の自分への怒りが込み上げる時もあった。
そうやって繰り返して思い出すうちに、転移魔法の引き金になった事柄が浮かびあがってきた。
それはあの屋敷にいた人たちの冷たい視線であり、ラップを恐れて怯えた姿であり、側へ来るなと言われた事だった。
普通の世界から拒否された時の絶望。それは致死の魔法を放った事以上に大きかった。
しかも追われる立場になったかも知れず、もはや一刻もテュエールに居られないと感じたのだった。
『そうだ。あの時はどこへ行こうかなんて考えていなかった。ただテュエールから離れたくて、どこでもいいから遠くへ行きたいと願ったんだ。』
目的地へ跳びたい気持ちよりも、今いる場所から立ち去りたい気持ちの方が強かった。
『なんて悲しい…救いようのない原動力なんだ。』
人との触れ合いを拒否され、その場にいることすら許されない雰囲気がラップに転移魔法を使わせたのだ。
あんな状況に二度と陥りたくない。
上手く立ちまわって、少しでも普通の世界に受け入れられて暮らしたい。
だが、この魔法を覚えたら、使うたびに自分が孤独な存在だと突きつけられるのだろうか。
それが、便利な力の代償なのだろうか。
「それでも、覚えずに後で悔しい思いをするよりはいい。」
ラップは確認するかのように口に出して言った。その通りだと思った。

居場所のない悲しみを心に捉えたまま、ラップはシャリネの建物を思い浮かべて転移の呪文を唱えた。
ぐらっと世界が揺れた気がした。
「うっ。」
思わずこめかみを押さえたラップは、照りつける陽射しを感じてハッと顔を上げた。
正面にシャリネの建物がある。
ラップは呪文を唱えた時の姿勢のまま、地面に座っていた。
「跳べた…?」
腰を浮かせ、きょろきょろと見回しても、いつもと変わらない周囲の風景だった。
「………。」
地面へ丁寧に座っている自分の姿に笑いがこみ上げてきた。
「ははは、やった!」
ラップは背中から地面に倒れ込んだ。手足を伸ばして大きく伸びをした。
「出来た。跳べたんだ。」
ラップはホッと息を吐き出した。
転移出来るほど自分の感情を追い込むのは大変だが、使い慣れれば、辛い記憶まで遡らなくても、技を発動出来るかも知れない。
何よりこの達成感は辛さを補って余りあるものだった。
ラップは立ち上がり、跳んだ感覚を忘れないうちにもう一度呪文を唱え始めた。
一刻も早く、上手く使えるようになりたかった。

 

(2010.6.1)

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