古式の巡礼

01

一年振りの旅。
それは、これまでの旅とは、まるで違うものだった。
館を出てからシフールヘたどり着くまでは、いくつか目的はあったものの、それ以上に、生きることが大切だった。
今回は違った。
ラップは以前よりもずっと簡単に、小動物を捕らえられるようになっていた。
体の動きが全く変わっていた。一年の修行の成果だった。
空腹を抱えることは滅多に無くなったし、毛皮も売ることができた。
マントを身に付け、魔法使いらしい姿をしているせいか、ひどく値切られることもあったが、そんな商人には妥協せず売らないという余裕も出来た。

シフールを出て、ラップが向かったのは南の山脈だった。
東には、テュエールのあるメナート国へは足が向かなかった。
今度こそギドナの砂漠を越えて、最初のシャリネがあるというフォルティアの国に入るつもりだった。
シフールのあるウドルの国と、南のフュエンテの国境は、相変わらず夜に紛れて越えた。

フュエンテに入ると、今度は薬草が豊富に見つかるようになった。
何度か民家の側を通るうちに、この辺りではごく普通の家庭でも薬作りが盛んだと知った。
ラップは思い切って声を掛けてみた。
それぞれの家に得意な処方があり、痛み止めや湿布薬、回復薬など様々な薬が手に入った。
広い湖を越え、辺りの風景が乾燥した砂漠のものになってきた頃、ラップは再び夜に紛れて国境を越えた。
後ろめたかったが、通行証を持たない以上そうするしかなかった。

ギドナ国の関所の周りには、砂漠へ向かう隊商や、彼ら相手の商店が一つの街を作っていた。
ラップはそこで最後の準備を整えた。
多めに食料や水を買い込んだ。
はじめから、隊商に入れてもらうつもりはなかった。
慎重に方角を検討してから、ラップは転移と飛行を使ってオアシスの街バラカを目指した。
オアシスへ到着すると、その日は宿でぐっすり眠った。
砂漠の街は旅人を受け入れることに熱心で、ラップのマント姿を見てもあからさまに避ける人は少なかった。
ラップは次の町、ギドナの首都ギドネルへの道について人々に尋ねた。
砂漠の途中に遺跡があると教えてくれた老人がいた。少々回り道になるようだが、立ち寄ってみようとラップは思った。

遺跡は入り口だけが砂漠に露出していた。
階段を降りると、そこは地上の暑さが嘘のようなひんやりとした空間だった。
通路が奥に続いている。
ラップは指先に小さな炎を灯した。
炎のゆらめきは、ラップの心の乱れを反映しているようだった。
相変わらず炎に対しては恐れがあった。
だが、ラップはあえて炎を使うことにした。
慣れる事も、恐れを緩和させるのに有効だと考えたのだ。
炎に照らして見ると、通路のそこかしこに骸骨が転がっていた。
跪いてよく見ると、サバクオオカミやスナウサギのものだった。
用心に越したことはないと、ラップは身構えて奥へ進んだ。
だいぶ奥まで進んだところで魔獣に出くわした。
風の魔法で退けたが、通路に積もった砂埃が舞い上がり、視界を悪くした。
ラップはマントで口元を覆い、先に進んだ。
再び空気が澄んでくると、少し広い、部屋らしき場所に着いたのがわかった。
傍らの壁に何かが描かれていた。
ラップは足を止めた。
「ドラゴン…。」
二匹のドラゴンがからみ合い、恐らく戦っている。
ふと、モーリスに聞いたロップ島のドラゴンの話が思い出された。
この遺跡を作った人々に伝わる伝承だろうか。
それとも、彼らは見たのだろうか。

ラップはその壁画の前で休憩を取ることにした。
まだ魔獣が徘徊しているかも知れないので、全ての通路に結界を張った。
荷物袋には、どれを食べようか迷う程の食料がある。
パンと干し肉、それに果物を少しとり、水で喉を潤した。
休む前にもう一度結界を確認し、それからラップは横になった。
すぐに青々とした木々のざわめきが脳裏に浮かんだ。
坂道を、ラップと同じくらいの子どもが二人、掛け降りてくる。
おしゃべりでもしているのか、とても楽しそうだ。
「ん……。」
ラップは頭を振った。
一瞬のことに思えたが、体を起こしてみるとぐっすり眠った後のような感触があった。
『夢だったのかな。』
なにやら妙に鮮明だった。だが、思い返そうとしても、子どもの顔も風景も思い出せなかった。

ラップは遺跡の残りの道を歩いてみた。
道の入り組んだ行き止まりに、明らかに人とわかる骸骨が横たわっていた。
気を引き締めて先へ進むと、驚いたことに、今度はドラゴンの像に出くわした。
それは壁画に描かれていたドラゴンよりも、遥かに獰猛で、攻撃的な姿だった。
「すごい。まるで生きているみたいだ。」
ラップは像の周りを何周も回って、その超常の生き物を目に収めた。

再び階段を見つけて登ると、遺跡の出口だった。
早く休んだせいか、外はまだ夜だった。体に当たる風は意外なほど冷たい。
朝日が昇るのを待ち、方角を確認して、ラップはギドネルを目指した。

砂漠の国の首都は、オアシスよりも賑わっていた。
豪商の構える宮殿のような屋敷。テントの連なる活気ある市場。
強い日差しを避けるために体を薄い布で覆った人々。
ちらほらと、ラップのような普通の服装をしている人もいた。きっと旅人だろう。
ラップは愛想の良い宿屋を見つけて歩き回り、数件目に訪れた店に落ち着いた。
「あんたは巡礼の子どもじゃないのかい?」
宿の女将に尋ねられた。
「いいえ、違います。」
ラップは答えた。
「なんだ、そうかい。そう言えば、巡礼が回ってくるのは冬になる前だったねえ。」
「あの、ギドナにはシャリネはないですよね? 巡礼の子どもはここを通るんですか?」
ラップは逆に女将に尋ねた。
「ああ。それはね、フォルティアの巡礼はギドナを回って自分の村へ帰るからさ。冬になるとフォルティアとメナートの定期船が止まるからね。」
女将はスラスラと答えてくれた。
「そ、そうなんですか。」
ラップの方はとっさに理解できなかった。フォルティアもメナートも未知の国で、それらの繋がりもしっかり頭に入っていなかった。
『ティラスイール全部の地図があるといいな。』
ラップはそう思った。

ギドネルでしばらく過ごしてから、ラップはフォルティアとの国境の関所を目指した。
砂漠の横断も残りわずかの道だ。
ここから先は、自分の足で歩いてみることにした。
時折、大人たちがラップを追い抜いていく。中には声を掛けてくる者もいた。
「お若いの、旅行かい?」
「ええまあ。」
ラップは控えめに答えた。会話が弾むのは、あまり歓迎しないことだった。
どこから来た? 行く先は? 年は? 名前は? ラップにはどれも答えにくい事柄だったからだ。
言葉数の少なさに、大体は歩調を早めて追い越していく。
あるいは、声を掛けてみたものの、ラップの出で立ちを見て魔法使いだと気付き、足早に通り過ぎていく。

ある日の夕刻、街道から少し離れた木の下で肉を炙っていると、一人の旅人がふらりとやってきた。
「あの、火の側に寝かせてもらえませんか。」
ラップが見上げると、胸に楽器を抱えた男が立っていた。二十歳くらいだろうか。マントを着て、首や腕には華奢な金属のアクセサリーを付けていた。
「ええ、どうぞ。」
ラップは答えた。きっと吟遊詩人だろうと思った。
こんな間近で見たことはないが、本で読んだ姿に似ている。
「ありがとう。驚いた、君、まだとても若いね。」
男は慣れた様子でラップの反対側へ座り込んだ。
「僕は歌を歌って世界を渡り歩いているんだ。良ければお礼に一曲歌うよ。」
腕に抱えた丸っこい楽器を大事そうに撫でて男は言った。
ラップはちょっと考えた。
歌を聴かせてもらうのも悪くないが、世界を旅しているのなら、シャリネの事も知っているかもしれない。
「もし、シャリネの事を何か知っていたら教えてもらえませんか。」
ラップが言うと、男は目を丸くした。
「珍しいものを知っているね。そうか、君は魔法使いなんだ。」
今更のように、ラップのマント姿をしげしげと見て言う。
この人はありのままの自分を見てくれている。
ラップは頷いた。
「これからフォルティアにあるというシャリネに行くつもりなんです。でも、全然知識がなくて。」
ラップは焼きあがった肉を二つに分けて吟遊詩人に差し出した。
「やあ、これはありがとう。」
男は楽器を傍らへそっと下ろすと、ラップから肉を受け取った。
「フォルティアのシャリネか。ディーネのシャリネと言って、とっても綺麗な湖のほとりにあるんだ。でも、遠いよ。」
吟遊詩人は遠慮なく肉を頬張りながら言った。
「ティーネっていう場所なんですね。」
ラップは自分も肉をかじった。
「うん。フォルティアの国は広くてね。この先の関所からまっすぐ北上すると首都のルードに着く。そこから海岸沿いの街道を進んで行くのが一番安全な道だろうね。」
吟遊詩人は自分の荷物入れからパンを取り出し、半分に分けてラップに差し出した。
「ありがとう。」
ラップも遠慮なくパンを受け取った。
「もし君が、えーと、あまり人目に付く旅をしたくないなら、ルードへ行かずに魔女の海に沿って行けないことも無い。」
吟遊詩人はそう言ってラップを伺った。
さすがに旅を仕事にしているだけある。ラップが魔法使いだと知っての発言だろう。
「他の道もあるんですか?」
ラップはそれとなく先を促した。
「関所の先のアロザの村から東の海岸に向かうんだ。魔女の海沿いにずっと行けばディーネへ出る。けれど、ちゃんとした街道じゃないし、山道も多いよ。」
「そうですか。どうもありがとう。」
どちらにしてもじっくり検討したいとラップは思った。
食事を終えると吟遊詩人は火の側へ横になった。

「君も、あちこちを旅しているの?」
横になった吟遊詩人が聞いてきた。
「ええ、まあ。」
ラップはいつものように曖昧な答えを返した。
「シャリネにはね、古くから伝わる巡礼も残っているんだよ。」
吟遊詩人が言った。
「はい、知っています。最初は魔女が始めたんだそうですね。」
「詳しいね。そうだよ、魔女の海からやって来た異界の魔女が巡礼を始めたんだ。それが普通の人たちに広まったんだ。でも今は途絶えかかっているけどね。」
「昨年の秋、シフールのシャリネに居候していたんですけど、3人しか来ませんでした。」
ラップは言った。
「そうなのか。残念だね。世界を回って成人の儀式にするなんて、ロマンチックな風習だと思うんだけど。」
「そうですね。」
ラップは新しい木の枝を火の中へ放り込んだ。

「ギドナには古い遺跡もあるけど、もう見たかい。」
吟遊詩人が聞いた。
「ギドネルの手前にある地下の遺跡なら行きました。」
ラップは答えた。
吟遊詩人は嬉しそうに両手を打ち合わせた。
「そうか。それじゃあ、砂漠の西の端にあるガガーブには?」
「え?」
「世界の果てと言われるガガーブの裂け目だよ。知らないかい。」
ラップは首を振った。
「知りません。」
吟遊詩人はにっこりと笑った。
「良かった。僕の好奇心が少しでも優っていて。ガガーブというのは、ギドナの砂漠の西にある大きな裂け目なんだ。とても深くて、いつも風が吹き上げている。まるで嵐のようで、鳥さえ飛べないというんだ。」
「へえ…。貴方は見たんですか。」
ラップが尋ねると、吟遊詩人はゆっくり頭をふった。
「残念ながら見ていないよ。砂漠の通り道から外れているからね。行くのは命懸けだよ。」
「そんな所があるんですね。僕は船すら乗ったことが無くて。」
ラップはつぶやくように言った。
「海もいいねえ。君は吟遊詩人になれるよ。」
吟遊詩人はあくびを一つすると、仰向けになって目を閉じた。
ラップは焚き火に砂をかぶせて消した。
横になると沢山の星が見える。
『僕は何になるのだろう。』
魔法を人助けに使いたいといっても、人が魔獣に襲われることなど日常的にあるものではない。
生きていくには、それとは別の仕事を探す必要があるだろう。
今はまだ思いつかない。
『シャリネを全部回って、魔女や魔法のことをもっと知って、それからだ。』
まだ見ぬ砂漠の彼方の国を思いつつ、ラップも眠りに落ちていった。

次の朝、吟遊詩人は先に出発していった。
ラップは火の跡を念入りに片付けてから出発した。

国境の関所が見えてきた。
ラップは足を止めた。
大掛かりな関所だった。ギドナとフォルティアを隔てているのは川だった。
関所の役人に姿を見られないうちに、ラップは一旦関所を離れて街道から外れたところに身を隠した。
人が通りそうにない木陰を探して、体を休める。
夜までしばらくの辛抱だった。
『ちゃんと、通行証を使っていればよかったな。』
一度越境してしまうと、関所を通っていないことを説明しなくてはならず、旅に出たばかりだったラップは楽な方法を選んでしまったのだ。
その通行証もテュエールのはずれの洞窟に、荷物と一緒に置いてきてしまった。
『今の僕は、出身地の証明出来ない流浪人だ。』
しかも、ひょっとしたらメナートから手配が掛かっているかも知れない。
やはり夜にまぎれて入国するしか無いと、ラップはため息を付いて思った。

夜半、関所の松明は遅くなっても消されなかった。
ラップは用心して、明かりの見えなくなるまで離れて国境を飛んで渡った。
明かりをつけることは出来なかったので、どこまで水面が続いているのか、ひやひやしながらの横断だった。
フォルティアへ入ると、関所の方には寄らないで、森の中を北へ進んだ。

森が復活すると共に、食料になる小動物も見かけるようになった。
ラップは再び自給自足の暮らし方に切り替えた。
移動も徒歩だ。魔法を使って素早く移動する必要は無くなった。
ルードの町は遠かった。何日も街道を進んだ。
背後に立派な城をいただく大きな町並みが見えてきた時は、それまでに見てきた町との広さの違いに呆然とした。
ルードに比べたら、シフールもテュエールも田舎町のようなものだった。
町へ一歩入ると、家がひしめき合い、人々がひっきりなしに往来している。
珍しさも手伝って、ラップは商店街を当てもなく歩いた。

しばらく歩きまわるうちに、自分がさりげなく避けられている事に気が付いた。
あからさまに距離を置く人は少ないが、普通にすれ違う人も少ない。
魔法使いには近づかないというのが、この町の人たちの暗黙の了解なのか。
それは、ラップが本屋の店先に、折りたたまれたティラスイールの地図を見つけたときにも感じられた。
「すみません、その地図を見てみたいんですが。」
店主に告げると、相手はラップの姿をじろりと見て顔をしかめた。
「冷やかしはお断りだ。」
すげない返事が返ってきた。
「冷やかしじゃありません。良い物だったら買いたいと思っています。」
ラップは食い下がった。
「お前たちに買えるような品物じゃない。」
店主は明らかに先入観を持っていた。
ラップは不満を押さえて店主に聞いた。
「そんなに高いんですか?」
「1500ピアだ。」
店主は言った。
「1500。そんなに……。」
市場で一回の食事を取るのに、せいぜい5ピアから10ピアだ。
「世界中を回る行商人やお城に納めるような品物だ。もっと自分に合ったものを探すんだな。さあ、帰った帰った。」
手持ちのお金では到底手が出なかった。ラップはしぶしぶ店を離れた。

先程聞いた地図の値段が頭をちらついていたせいで、宿屋探しも簡単にはいかなかった。一泊の相場が高く感じられた。
『これならいっそ野宿した方がいいな。』
そうしてしばらくこの町で働くか、狩りをしてピアを貯めれば、寒くなる前に地図が手に入るだろう。
そう決めると、今度は人を募集している店を探して回った。
だが、人が沢山いて、商売をしている人も多いのに、仕事にはありつけなかった。
ラップのマント姿を見ると、皆が雇うことを渋った。
この町には、魔法使いと共存するという空気がない様子だった。

がっかりしたラップは、町の周辺で野宿し、次の日は町の外の農家に働き口を探した。
幸い、一軒の家で力仕事の出来る男を探していた。
初老の主は痛む足を引きずっていた。持病があって、軽い作業しか出来ないという。
「そのマント、あんた魔法使いか?」
主はラップを見ると開口一番そう言った。
「は、はい。…あの、駄目でしょうか。」
町中だけでなく、周辺でも魔法使いが嫌われているなら、他の町へ移動するしかない。
「いや…見かけない顔だしな。あんた、山賊やゴロツキの手下じゃないだろうな。」
「違います。最近ギドナを越えてフォルティアへ来たばかりです。」
ラップは心を込めて言った。
「わかった。じゃ、あんたを雇おう。」
主がそう言ってくれて、ラップは心底ほっとした。
「ありがとうございます。」
「ただ、そのマントな。悪いがうちで働く間はしまっておいてもらえないか。」
「え…。」
「ルードへ来たばかりなら知らんだろうが、悪さをする連中がおってな。中には魔法使いもいると言われておる。その格好では余計な噂が立つじゃろ。」
ただの旅装ではない。修行を終えた証の大切なマントだったが、仕事を得るためには仕方がなかった。
「わかりました。」
ラップはその場でマントを肩に止めている紐を解いた。丁寧に畳んで片手に持つ。
「おお、いい子だ。納屋の屋根裏で良ければ使っていいぞ。三日に一度、ルードの市場へ野菜を持っていくんじゃ。わしにはもう荷車が重くていかん。」
「ありがとうございます。次に市へ行くのはいつですか?」
「明日だよ。坊主、名前は?」
「明日ですね。えっと、ヘブンです。」
「わしはサムソンじゃ。」

畑を耕し、時には水をやり、収穫したものをルードの町で売る。
ラップは一生懸命に働いた。
三日に一度ルードへ行ったが、マントを付けていないラップのことは誰もよけたりしなかった。
見た目で差別されていたとわかり、ラップはこの大きな町に一層失望した。

しばらく経った頃だった。
店先でもじもじしていた子どもが、他の客の相手をしている隙にトマトを掴んで逃げ出した。
「あ、こら!」
サムソンが怒鳴ったが、痛む足で追い掛けられるはずもない。
ラップが急いであとを追った。
前を走る子どもはすばしっこい。ラップは人垣が途切れた時を見計らって子どもの足元に風を吹きつけた。
「あっ!」
子供の足がもつれて倒れた。
「捕まえた!」
ラップは子供の肩を押さえた。
「ちくしょう、離せよっ。」
子どもはジタバタと抵抗する。
「駄目だよ。ちゃんと品物を返して、謝るんだ。」
ラップは子どもの手を掴んで立ち上がらせた。
「おい、お前離せよ。」
どこからともなく、ラップより大きな少年が現れてラップに凄んだ。
「この子が店の物を盗んだんだ。」
「トマトくらい大した事無いだろ。見逃せよ。」
少年の後ろにも、事の成り行きを見ている子どもが数人いた。
「人の物を盗んじゃいけないんだ。」
ラップは重ねて言った。
「お前、痛い目にあいたいんだな。」
声を掛けてきた少年が指をボキボキと鳴らした。
「ああ、あそこです。うちの小僧が捕まえてます!」
背後からサムソンの声がした。
「ちっ!」
少年が身を翻した。
「行かないで!助けてよっ!」
ラップに腕を捕まれた子どもが叫んだ。

後ろから、サムソンが市場の警備の兵士を連れてきた。
「店から品物を盗んだのはお前か。」
兵士は子どもを睨みつけた。子どもはぷいと横を向いた。
サムソンが子どもの膨らんだポケットからトマトを取り上げた。
「ほらあった。」
「こい、小僧。」
兵士は子どもを連れていこうとした。
「その子、どうなるんですか。」
ラップは尋ねた。
「牢に入れる。」
兵士は無愛想に答えた。
「えっ。」
「ご苦労だったな。」
兵士はラップを労うように頭をクシャッと撫でて、嫌がる子供を連れていった。
ラップはあたりを見回した。
さっきの少年も、仲間らしい子供の姿も消えていた。
「トマト一個で牢屋に入れられるんですか。」
ラップはサムソンに聞いた。
「今日だけじゃない。悪さをする連中が縄張りにしてるんじゃ。わしの足が悪いと知っていて何度も盗みに来おった。これからは安心じゃな。」
サムスンが自分に笑いかけたので、ラップは笑顔を作って返した。
だが、食うに困っている子どもの事も、不憫に思えて仕方ないのだった。

それからサムソンの店で泥棒が発生することは無くなった。
だが、市場の他の店では、相変わらず盗みを働く者が出ているという噂だった。
ある日、帰り支度を始める前に自由な時間をもらったラップは、おやつに蒸しまんじゅうでも買おうと思い、店のある方に向かっていた。
毎日の食事はサムソンの家で食べさせてくれたが、いかんせん、老人の好むものは育ち盛りのラップには物足りなかったのだ。
「よお、ちょっといいか。」
いきなりラップの前に少年が立ち塞がった。
「この間の。」
ラップが捕まえた子どもを助けようとしていた少年だった。
他にも数人がラップを取り囲んだ。
「お前のせいで、やりにくくなっちまった。お礼させてもらうぜ。」
言うが早いか、少年はラップに殴りかかってきた。
顔を狙った一撃が頬に炸裂した。間を開けずに、腹にも何発も浴びせられる。
ラップは足を踏ん張ってこらえた。
「何だ何だ。」
「喧嘩だ!」
周囲の人たちが足を止める。
「おい、ずらかろうぜ。」
周りにいた仲間が少年に叫んだ。
「おう。」
少年が仲間に答え、ラップに背中を向けた。
ラップはその無防備な背中を見逃さなかった。
右手を前に突き出した。小さな声でささやく。
「風よ吹け。」
少年の背中に向けて、周囲の人が気付かないくらいの魔法を繰り出す。
「うわっ!」
少年はいきなり背中をドンと押されて、前のめりに倒れ込んだ。
ラップは少年の背に飛び乗った。逃げられまいと押さえつけた。
「離せ!」
少年が叫んだ。
「駄目だ。」
ラップは叫んだ。
「何をしている!」
誰かが呼んだのだろう、警備の兵士が二人もやって来た。
「この人が襲ってきたんです。」
ラップは兵士に告げた。殴られた頬がズキズキした。
「この間、うちの店で盗みをした子の仲間です。」
「知らねえっ!」
少年は叫んだ。
兵士は少年の顔を確認するように覗き込むと、ラップを退かせて少年を立ち上がらせた。
「この間捕まえた子は色々話してくれたぞ。お前にも話を聞かせてもらおうか。」
兵士が言うと少年は歯ぎしりした。
少年は手首に縄を掛けられて連れていかれた。
「君、大丈夫か。」
もう一人の兵士に声を掛けられ、ラップは頷いた。
「ありがとうございました。」
兵士に礼を言って、ラップはサムソンの店に戻った。

ラップの腫れた頬を見てサムソンは驚いた顔をしていたが、帰り道に話し掛けてきた。
「坊主があいつらの一味でなくて良かったよ。正直に言うと、ちょっとばかり疑っていた。わしの店は奴らの標的になっていたからな。仲間を送り込んできたかも知れんと思ったんじゃ。」
ラップは荷車に足の悪いサムソンを載せて引いていたが、ちょっと振り返ってサムソンを見た。サムソンはニコニコと笑っていた。
「あの子たち、どうなるんでしょう。」
ラップは尋ねた。
「どうだろうな。育てる親がなくてああなってしまったんだろうし。どこかに預けられるのじゃないかね。」
ラップは複雑な思いがこみあげた。
自分は正しい事をしたと思う。だが、あの子たちの立場はラップと大して変わらない。
もし二年前だったら、ラップも食べられないことが多くて、あの子たちのようになってしまったかもしれなかった。
自分の判断が本当に正しかったのか、ラップは断言出来なかった。

夏の野菜の収穫を終え、畑を耕し直して秋の植え付けをした。
「ありがとうな。助かったよ。」
約束の期間が終わり、ラップは謝礼をもらってサムソンの元を離れた。
寝床と食事を世話してもらったので、それなりの報酬だった。
1500ピアは貯まらなかった。

久しぶりにマントを羽織り、ラップはまた本屋を覗いた。
あの地図はまだ店先に並んでいた。
本屋はラップのマント姿にしかめ面をしたが、やがて気付いて言った。
「市場で働いていた子だな。」
ラップは顔を上げた。
本屋の顔から警戒心が消えていた。
真面目に働く姿は、物事を良い方向に進めてくれるのだと思った。
「はい。」
「その地図は、兵隊や国のお役人が使う細かい地図だ。あんたは見向きもしないが、その隣の地図だって、旅人が持つには充分過ぎる物なんだぞ。」
本屋はラップが気に入っている地図と、もう一つの地図を広げて見せてくれた。
街道から別れた細い道が、たくさん書き込まれている。村の名前、道の名前も沢山ある。
もう一つの方はそれ程びっしりと書かれていない。
「僕はやっぱりこっちがいいけど。」
ラップは細かく書き込まれた地図を見ながら言った。
「地図なんて、旅が終われば用無しだろう。勿体無いと思うがな。」
本屋が言った。
「僕は家がないから。旅は終わらない……。」
ラップはそこまで言って口ごもった。
そうだ。どこにも体を落ち着ける町はない。
ラップの人生とは、旅を続ける事なのかもしれない。
それが魔法使いに生まれついた宿命かもしれなかった。

「それでもな、坊主。1500ピアってのは大金だぞ。それだけのピアを貯めるのは大変だっただろう。」
本屋に聞かれてラップは肩をすくめた。
「ひと夏働いたんですけど、まだ足りないんです。」
本屋は笑った。
「そうだろうよ。もう一踏ん張りして、毎日のパンも節約して高い物を買うか? それよりも、こっちの地図にして、手元にピアを残すのが賢いと思うがね。」
本屋はお勧めの地図をラップの目の前に置いた。
ラップは迷った。
本屋の言う事も一理あった。
ここで地図に全財産を使ってしまったら、しばらくはゆとりの無い暮らしになってしまう。
「ディーネという場所はちゃんと載っていますか?」
ラップは本屋に尋ねた。
「もちろんだ。」
本屋は地図の右上の方を指差した。
「ここがディーネの水晶湖だ。綺麗な所だってな。」
「はい。」
ラップは地図の上に書かれたディーネの文字を読んだ。
本当に遠い。ルードとは反対側の端にあった。
北の海岸沿いに一本の太い道。
ギドナとの国境近くは、細い道や山の印が複雑に入り混じっている。繋がっていない道も多かった。
今はこれで良いとラップは思った。
「こちらの地図にしようと思います。いくらですか?」
ラップは本屋に聞いた。
「500ピアだ。おまけして490ピアにしてやろう。うまい菓子でも買いな。」
「ありがとう、おじさん。」
ラップは代金を払い、地図を手にした。
宝物が手に入った気分だった。

地図を手に入れたラップは、すぐディーネには向かわなかった。
地図を広げて道のりを検討しているうちに、吟遊詩人が言っていたガガーブのことを思い出したのだ。
砂漠の西側を地図で見たラップは大層驚いた。
ガガーブと記された断崖は、ギドナの国の南端から北端まで貫いていたのだ。
何かの間違いではないかと思う程の大きさだった。
自分の目で見てみたいという好奇心が頭をもたげるのに、さして時間は掛からなかった。
ラップは再びギドナに入り、首都ギドネルから真っ直ぐ西を目指した。
夏は過ぎ、砂漠の陽射しも少しやわらいでいた。
行けども行けども世界の果ては見えなかった。
数日後、彼方に砂丘が見えてきた。それを目標にしてラップは黙々と歩いた。
側へ近づくにつれて、砂丘の高さがかなりあることがわかってきた。
まるで砂の壁があるようだった。
背の高さの五倍、いやもっとあるかも知れない。
右にも左にも、同じような砂丘が無数に並んでいた。
登ろうと足を踏み出すと、足首がすっぽりと砂に埋まった。
ラップはぞっとした。
登っているうちに砂が崩れたら、埋もれてしまうかも知れない。
慌てて足を引き抜き、魔法で浮かび上がった。
風が築いた壁のような砂丘の頂上まで、ゆっくりと上昇する。
頂上では、正面から風が吹いていた。
風に砂粒が混ざっていて体に当たった。
マントが風に吹かれてはためいた。
ラップは目を凝らした。
まだ断崖は見えなかった。

砂丘の向こう側は岩石がむき出しになった荒れ地だった。
そこに降り立ったラップは、しばらく進むと強くなった風に邪魔されて進めなくなった。
風は絶えず向きを変えて吹いていて、ラップのマントをでたらめに煽った。
『これ以上は進めない。』
とうとうラップは立ち止まった。
右を見ても左を見ても、サボテンの一つも見当たらない。
ほかに命あるものの姿はない。
「これが世界の終わりなんだ。」
ラップはつぶやいた。
まさに地の果てに相応しい光景だった。

 

砂漠からフォルティアへ戻った頃には冬が近くなっていて、ラップはアロザの付近で冬を越した。
動物が冬眠する冬は、狩りをしながらの暮らしは難しいのだ。
そして、寒さが去った頃、アロザの村から東へ進み、フォルティアの国の南岸に沿って、ディーネのシャリネを目指すことにした。

最初のうちは街道があった。ドルフェスという場所まで繋がっている道だった。
だが、そこを過ぎると街道と呼べるしっかりした道はなく、近隣の人が通るだけの細い道を歩いた。
山に差し掛かると、その道も無くなった。
ラップはいつも海を視界にとらえて進んだ。遠回りだったかもしれない。だが、山深くに迷い込むのはもっと危険だと思った。
人が滅多に入らない森は、動物も魔獣も多かった。
ラップは危険を避けては立ち止まり、水を調達するために通り過ぎた川筋へ戻り、試行錯誤をしながら進んでいった。
魔法で飛んでいけばずっと早いのは分かっていた。でもそれは、ラップが生き抜く力をつける為には無用の事だった。
魔法に頼らず、もっと心も体も鍛えて強くなりたい。
シフールで修行中に考えたことを、今実践しているのだと思った。

暑い夏の盛りに、ラップはとうとうそれらしい水辺に到着した。
岸に打ち寄せる波は小さなもので、海のそれとは比べ物にならなかった。
水は澄んでいて、口に含んでも塩辛くなかった。
湖の中ほどに漁船が数隻浮かんでいた。のどかで美しい風景だった。

日没が近づき、湖の上をさわやかな風が吹きはじめた。
漁船が岸に移動していく。
ラップは船を下りた漁師たちに、ここがディーネの湖かと尋ねた。
「そうだとも。」
知らないのかという勢いで漁師たちは答えた。
「それでは、シャリネがどこにあるか知りませんか。」
ラップは重ねて尋ねた。
久し振りに人と会話をしたせいか、声が出にくく少しかすれた。
ラップは軽く咳払いをした。
「あっちだ。」
漁師の一人が少し離れた湖岸を指差した。遠くに小さな建物が見えた。
「あんた、巡礼の子かい?」
他の漁師がラップに聞いた。
「いいえ。旅をしながらシャリネを訪ね歩いているんです。」
「ふーん、変わった子だな。あそこは誰でも入れるけど、古い本や変な祭壇があるだけだよ。」
漁師たちは興味がない様子で、水揚げの作業に戻った。
ラップは彼らの関心の低さに驚きながら、教えてもらった建物に向かった。

シャリネの建物は、シフールのそれよりも、オルドスの建物を連想させた。
つまり、古い。
ろくに修繕もされておらず、石組みがところどころで崩れかけていた。
入り口に鍵は掛かっていなかった。
「こんにちは。」
ラップは中に向かって呼びかけたが、返事も、人の動く気配もなかった。
ここは無人のようだった。
ラップは中へ入った。床に土埃が積もっている。その上に奥の部屋に向かう足跡がかすかに残っていた。
ラップは鏡の部屋の扉を開けた。
部屋の中央に美しい鏡が天井を向けて設置されていた。
鏡の表には塵一つない。一体どうしてだろうとよく見れば、鏡は鏡でなく、透んだ水がたたえられているのだった。
『それでも、ホコリも浮かんでいないなんて……。』
不思議だとラップは思ったが、深く追求するのはやめた。
他の部屋を見まわったラップは、広い書庫を見つけた。
古い本が多い。状態の悪いものも多かったが、背表紙を見る限り読んだ事のない本が殆どだった。
しばらくここに住もうとラップは決めた。

ラップは湖の漁師たちに、シャリネに住みたいことを申し出た。
「別に俺たちの村の建物じゃないし、良いんじゃないか。」
「前にも魔法使いや流れ者が住んでた事があるしな。」
特に反対はされなかったので、ラップはさっそくシャリネの掃除に取り掛かった。

夏の間に獣を捕らえて周辺の町や村へ売りに行った。
秋になると森で薪を拾い、果物を集め、少し畑も作って野菜を植えつけた。
本を読んだり瞑想をしていると、一日は早く過ぎた。
魔法の修行だけは、日が落ちてシャリネの周囲に人の気配がなくなってから始めた。
基本的なことを毎日重ねて修練する。
実践出来ない強い魔法は、心に思い描いて感覚を忘れないように努めた。

巡礼の旅人は、その年は五人だった。二人組で来た村もあった。
ラップは彼らの案内が出来るほど、シャリネの作法を知らなかった。
居候の身だと伝えると、巡礼者たちは自分の村に伝わる方法で鏡を見て去っていった。
シフールで試したような事は、今回はしなかった。
人のおこぼれを利用しているみたいで、あまり好きな方法ではなかった。
どうせなら、もっとシャリネの働きを根本から理解したい。そんな風に感じていた。

 

(2010.6.17)
(2011.7.23改訂)