ミッシェル・ド・ラップ・ヘブン捏造企画|Junkkits

古式の巡礼

02

次の春、ラップは再び近隣の野山を歩き、狩りをするようになった。
ある日の事だった。
山裾を歩いていたラップに、突然絶望に満ちた叫び声が聞こえた。
いや、耳に聞こえたのではなかったかも知れない。
反射的にラップは山を見上げた。
何も見えない。だが、確かにいる。
ラップは声へ向かって転移した。

ラップは山の絶壁の近くに出現した。
視界に落ちてくるものが映った。
『子どもだ!』
ラップは全身でその子どもを受け止めた。
強い衝撃があり、ラップは子どもと一緒にかなりの距離を落下した。
やがて衝撃の強さにラップの飛行魔法が勝ち、ラップは子どもを抱えて空中に静止した。
ゆっくり地面へ降りながら、子どもの様子を伺う。
気を失っているが、特に傷はない。
3歳か、4歳か。そのくらいの男の子だった。
『どこから落ちたのだろう。』
見あげた山はかなり高い。下からでは、村があるかどうか分からなかった。
ラップは子どもを抱きかかえて、山へ向かう道を歩き始めた。

しばらく登っていくと、道の上の方から大勢の足音が聞こえてきた。
ラップは足を止めた。
何人もの男が、手に棒や鋤を持って無言で下りてくる。
彼らが沈痛な表情をしているのを見て、ラップは声を掛けた。
「あの、この子、そちらの村の子どもではありませんか。」
ラップは抱きかかえた子どもを男たちの方に向けた。
「あっ!」
何人かが叫んだ。
「おい、シュバル! こっちへ来い!」
先頭にいた年配の男が後ろに向かって怒鳴った。
「何だ一体……。」
疲れ果てた顔をした男が前に進み出てきた。
先頭の男がラップの方を顎でしゃくった。
視線を移したシュバルは、抱き抱えられた子どもを見て、言葉にならない叫び声を上げた。
シュバルはラップに突進してきた。そして、息を飲み、覚悟を決めた様子でラップから子どもを抱え上げた。
「トルタ……。」
悲しい顔の男は、しかしすぐに目を見開いて子どもの顔を見つめた。
男は皆を振り返って叫んだ。
「おい、生きてるぞ。うちの子は生きてるぞ!」
「何だって!」
「そんな事、信じられん。落ちたんだぞ。」
村人が我先にと二人を囲んだ。
興奮している者も、怪訝そうな表情をしている者もいた。

ラップは人だかりから身を引き、冷静な表情で男たちの騒ぎを見た。
もうここに居る必要はないだろうと思った。
子どもは親の元に返せた。
魔法を使って助けたことを詮索されないうちに消えてしまおうと思った。
だが、人々に背中を向けて数歩進んだとき、背後から呼び止められた。
「あんた、待ってくれ! どこの人だ。礼を言わせてくれ!」
ラップは軽く唇を噛んだ。
振り向くと、シュバルと呼ばれた父親が村人をかき分けて前に出てきた。
「この子の生命は消えたと覚悟して、遺体を探すために降りてきたんだ。まさか怪我一つなく無事でいるとは思わなかった。一体どうして助かったんだ。」
全員の視線がラップに集まっていた。
「………。」
逃げられなくなったと、ラップは思った。
「その子を救ったのは風です。」
ラップは言った。
「何だって?」
皆が理解出来ないという顔をした。ラップは慌てて言い直した。
「風が山肌から離れる方向に吹いていました。その子は何にもぶつからずに落ちてきたんです。僕はその子の心の叫びを聞いたので…。」
「心の叫びって何だよ。」
若い男が吐き捨てるように言った。
「しっ、黙らんか。」
別の村人が若者を叱咤した。
ラップは身体の後ろで拳を握りしめた。
この人たちには遠回しに言っても通じない。魔法を使ったと話す方が早そうだった。
胸がドキドキしてきた。こんなたくさんの人たちに魔法の話をするのは覚悟が要った。
「僕は魔道師です。その子の恐怖心を感じたので魔法で飛び、落下してくるところを捕まえました。」
ラップは淡々と話した。が、周りの村人は大騒ぎになった。
「魔道師だと。」
「落ちてくるところを捕まえただと!」
「そんな事が人に出来るのか。」
遠慮のない会話がラップの耳にも届く。
「あんた、ありがとう。」
子どもの父親のシュバルが、周りの騒ぎなど見えないように、ラップの手を取って固く握った。
「決して助かる高さじゃなかったんだ。この子が生きているのはあんたのお陰だ。」
「いえ、ですから…。」
ラップの言い訳など、シュバルは聞いていなかった。
「一緒に村へ来てもらえないか。村長に会ってもらいたい。」
シュバルが言った。
好意から言っているのがわかるだけにラップは困った。
魔法がどれほど好奇の目で見られているか、今のシュバルには理解出来ないだろう。
「君、私からも頼む。礼もせずに返すなんて考えられんよ。」
先頭に立っていたリーダーらしい男も言った。
ここまで言われて逃げ出すのは、かえって失礼になるのだろうとラップは気が付いた。魔道師が普通の生活に溶け込めないと思われるのも嫌だった。
「わかりました、ご一緒します。」
ラップは二人に答えた。
「おお、ありがとう。」
年配の男が胸をなで下ろした。
「それじゃあ村へ帰るぞ。ジャック、先に行って伝えろ。」
「おう!」
ラップと歳の違わなそうな若者が、山道を駆け上がっていった。
「私はこの子の父親でシュバルだ。君は?」
子どもを抱いた男に尋ねられ、ラップは考えた。
この人たちの村へ行ったら、また魔法を使ったことを話さなくてはならないだろう。
どんな風に思われるか分からなかった。
そんな場所で、ラップともヘブンとも名乗りたくなかった。
「ミッシェルと言います。」
ラップは男に答えた。
「ミッシェル君か。ラグピック村は君を歓迎するよ。」
シュバルが心を込めて言ってくれた。
微笑を返しながら、ラップはほんの少し罪悪感を感じていた。

 

ラグピック村は、山を半分以上登ったところにある小さな村だった。
村の中心部には丈夫な柵が巡らされているものの、村はずれでは危険な崖がむき出しだった。
先に走っていった少年が伝えたのだろう。村の入口は詰め掛けた人たちで一杯だった。
「坊や!」
一人の女性が真っ先に走ってきた。
シュバルの抱いている子どもに手を伸ばし、ひしと抱きしめた。
不意に、胸の奥に衝き上げたものがあって、ラップは母子から目を反らした。
なんて幸せな子どもだろうと思った。
泣き声があがった。子どもが気付いたのだ。
それをきっかけに、遠巻きにしていた村人たちが駆け寄ってきた。
「良かったなあ。」
「本当に怪我をしてないのかい?」
皆が口々にシュバルたち親子に声を掛けた。
「皆の衆、まずは子どもを休ませてやろうじゃないか。」
村人の輪の外側にいた老人が凛とした声で言った。
我先にと親子を取り囲んでいた村人が、我に返ったように数歩下がった。
「村長、息子は生きていました。この人が、救ってくれました。」
シュバルは子供と母親、それにラップを村長の前へ連れていった。
村長は満面に笑みをたたえて子どもを見た。
「いや驚いた。トルタの姿を見るまでは、皆ジャックの報告に首をひねっておったんじゃ。この高さから落ちて無事だった者は、これまでおらんかったからのう。」
子どもは安心したのか、もう泣き声はたてず、母親の胸に顔を埋めていた。
「ゆっくり休ませてやりなさい。」
「はい。」
母親がラップに向かって深く頭を垂れた。ラップも礼をした。
それから母と子は人垣を出て行った。ひと固まりの女たちがそれに付いて行った。

「さて、立ち話もなんじゃ。わしの家へ来てくだされ。」
村長はそう言って村の中程にある家へ向かった。
ラップはシュバルと連れ立って村長に続いた。
その後ろに、村人たちがぞろぞろとくっついてきた。

「改めて挨拶させていただこう。ラグピック村の村長を務めているクルトじゃ。」
居間のテーブルに向かい合って座ると、村長は自己紹介をした。
「ミッシェルと言います。水晶湖の側にあるディーネのシャリネで暮しています。」
ラップが答えると、村長は不思議そうな顔をした。
「シャリネに? あそこは無人じゃないのかね。」
「書庫の本を読んだり、魔法の修行に使わせてもらっています。」
答えてから、ラップは疑問を感じた。
「シャリネの事をご存知なんですか?」
ラップが尋ねると、村長は重々しく頷いた。
「このラグピック村には、古くからの巡礼の習慣が残っておるのじゃ。わしらは皆、成人の儀式としてシャリネを回ってきたのじゃよ。」
「そうだったんですか。」
世の中に偶然はないのかも知れないと思った。
こんな山奥の村があの伝統を残していたのかと、ラップは嬉しくなった。

「シャリネの巡礼は、昔、魔女が始めたと言われている。魔法使いが修行に使うことは時折あるようじゃな。おかげでトルタも助かった。」
村長の言葉はラップがシャリネを使っていることを暗に認めるものだった。
ラップは安心した。
頭から魔法使いを差別する人たちではないようだった。
「わしらの村はこんな場所にあるからな。小さな子どもを外に出すときは、よくよく気をつけているのじゃが、今日は春の風が強かった。」
村長が言った。
「でも風向きがあの子を救いました。どこかにぶつかっていたら助からなかったでしょう。」
ラップは言った。
「それは、あなたが麓にいなくても同じ事だった。ほんによく助けてくださった。ラグピック村一同を代表してお礼を言いますぞ、ミッシェル殿。」
村長は深々と頭を垂れた。
「は、はい。」
村のまとめを預かるような人から感謝されて、ラップはどう答えたら良いか分からなかった。
だが、役に立てたのだ。素直に喜んでいいのだと思った。
それから、どうやって助けたのか話をせがまれて、ラップは一部始終を話した。

村長の家を辞して、シュバルの家へ寄ると、トルタは布団でぐっすりと眠っていた。
「特におかしい様子もありません。本当にありがとうございました。」
母親が喜びを満面に表して言った。
その輝きが少し羨ましくて、ラップは黙って頷いた。

シュバルの家を出ると、さすがの村人たちもそれぞれの家に散っていった。
ラップは山を降りるべく村の出口へ向かった。
村のはずれに一軒の小屋があった。
「なああんた、魔法使いなら病人を治せるか?」
小屋の側を通ったとき、不意に話しかけられた。
ラップは足を止めた。
小屋の前に、一人の少年が座り込んでいた。ラップと同じくらいの年格好だが、目つきが鋭い。
山の途中で村人に会ったとき、先に駆け上がっていった少年だと気が付いた。
「僕は回復魔法を使えないんだ。薬草の知識は少しあるけど、お役に立てるか分からないよ。」
ラップは正直に答えた。
「ちぇっ、何だ。魔法使いって何でも出来るんじゃないのかよ。」
少年はラップを責めるかのように言った。
「使える能力は一人一人違うんだ。僕は攻撃魔法を得意にしているけど、治癒の力は持っていないんだよ。」
「なんだ、役立たずだな。」
少年は頬を膨らませて立ち上がった。
しかし、攻撃的な言葉とは裏腹に、少年はがっかりした様子だった。
「病気の人は、どんな具合なの?」
ラップは少年に声を掛けた。
「いいよ。帰れよ。」
少年はうるさそうに言ったが、ラップは聞き流した。
「腹をこわしたときの薬や、熱が出たときの薬なら持っているよ。」
ラップが言うと、少年は首を横に振った。
「ばあちゃんはもう、起き上がれなくなっちまったんだ。」
小さい声で言った。悲しい声だった。
ラップもとっさに掛ける言葉が出なかった。
身体の能力そのものが衰える老人には、薬を処方しても、治癒の魔法を掛けたとしても、劇的な効果は望めないものだった。
それが人の寿命なのだった。
「そうか。ごめん、僕では何もしてあげられない。」
ラップは少年に謝った。
「わかったよ。邪魔したな。」
少年は小屋に入っていった。
扉が閉まってからも、しばらくラップは小屋を見つめていた。

10日程過ぎてから、ラップはラグピック村へ足を運んだ。
村の入り口で見張りをしている男に話し掛ける。男はラップをじろじろ見た。あまり歓迎されていないようだった。
「そこの小屋に寝たきりのお婆さんがいると聞いたので、薬を持ってきたんです。」
ラップは村はずれの小屋を指差した。
「あんた、この間トルタを助けてくれた魔法使いだよな。」
男は確認するように聞いてきた。
「はい、そうです。」
ラップは答えた。
「あの小屋に誰が住んでいるか知ってるのか。」
見張りの男は言った。
ラップは首をかしげた。
「お婆さんとお孫さんじゃないですか。僕と同じくらいの歳の。この間、何か薬がないかと聞かれたんです。」
ラップが言うと、男はやっと納得した様子だった。
「そうか、じゃあ通っていいぞ。」
許可を得たので、ラップは足早に村はずれの小屋に向かった。

「こんにちは。」
小屋のドアをノックすると、中から勢い良く扉が開けられた。
「誰だよ。」
出てきたのは先日話をした少年だった。
「……お前、この間の。」
ラップを覚えていたらしい。何しに来たと言いたげにじろじろと見られた。
「寝たきりの人が楽になれそうな薬を持ってきたんだ。」
ラップは少年に言った。
「頼んでないぞ、そんな物。第一、払う金がない。」
少年は頬を膨らませてラップを睨んだ。
「買ってもらうつもりはないよ。商いをしているわけじゃないから。息の通りを楽にする薬なんだ。喉が絡むようなときに、お湯に溶かして飲ませてあげて。」
ラップは自分で調合した薬草の袋を差し出した。少年は半信半疑で受け取って中身を開いて見た。
「……いいのか、こんなに沢山。」
用心するように少年はラップを伺う。ラップは頷いた。
「一度に匙一杯を湯で煎れるんだ。一日分くらいなら、まとめて作って冷ましておいてもいいよ。」
「ジャック、友だちかい?」
少年の後ろから小さな声がした。
「違うよ。……薬をもらったんだ。」
少年は小屋の奥に向かって言った。
「そうかい。親切な人があったもんだ。ちゃんとお礼を言っとくんだよ。」
小さな、でもしっかりした声だった。
『まだまだお元気そうだな。』
ラップは安心した。
「ああ。ありがとよ、えーと、何だっけ。」
少年がラップを見て聞いた。
「ラ……ミッシェル。」
うっかりラップと言いそうになって、ラップは焦った。
「ありがとな、ミッシェル。使わせてもらうよ。」
ジャックと呼ばれた少年は礼を言うと扉を閉めた。

用事が済んだので、ラップは見張り番のところへ戻って帰ることを告げた。
「ありがとうございました。僕はこれで帰ります。」
見張りの男はまたラップをじろりと見た。
「魔法使いに山賊のガキか。類は友を呼ぶって言うが、お前らグルじゃないだろうな。」
「は?」
思いも掛けない事を言われて、ラップは怒る前に呆気に取られた。
「僕は先日初めてこの村を知りましたし、あの少年ともその時が初対面です。あなたが何を仰っているのかわかりません。」
ラップはきっぱりと言った。
「ほう、そうか。」
男は信用してくれた様子ではなかった。
「僕は魔道師ですが、山賊ではありませんからね。」
ラップは重ねて言った。
「山賊はあっちの坊主さ。まあそういう事にしといてやるよ。」
男はまるでこちらの言い分を聞いていない。
怒りが収まらなかったが、ここで争っても虚しい事だった。
ラップは山を降りた。
どこへ行っても魔法使いを煙たがる人はいるんだと、悲しく思った。

 

春から夏へ、季節は移った。
シャリネの書庫の本も大半を読破して、ラップはそろそろ次のシャリネへ旅立とうかと考え始めていた。
地図を広げると、一番近いのはメナートのテグラのシャリネになる。
海路メナートへ渡る必要があった。
ラップはフォルティアの港町ラグーナへ足を運んでみた。
大きな港だった。メナートのニーリの港への定期船も運行していた。
だが、そこには出入国を管理する役人も常駐していたのだった。
『ここからは旅立てない。』
ラップはがっかりした。
他にメナートへ行く方法といったら、ディーネへやって来たのと逆の方法、つまりギドナ砂漠を越えフュエンテ、ウドル、チャノムと横断していく道しかないのだった。
下手をしたら、冬までにたどり着けないかも知れない。
『まさかこんな広い海を転移で跳ぶことは出来ないし…。』
ラップは落胆を隠せなかった。

いつまでも落ち込んではいられなかった。
陸路を行くなら、早々に旅支度を始める必要があった。
ラップは、ラグピック村のお婆さんに渡す薬草を再び作った。旅に出る前に届けようと考えたのだ。
薬が仕上がると、ラップはまた山腹の村を目指した。
今回は他に聞きたい事もあった。テグラのシャリネの行き方だ。
地図を見てネガル島という大きな島にあることが分かったが、そこへ行く船がどの港から出ているか、海岸沿いの町や村は沢山あって分からなかったのだ。
それに、シュバルやトルタ、あのジャックという少年に別れを告げたいとも思っていた。

村に着くと、前回は出入り口にいた見張り番がいなかった。ラップはおやと思ったが、また胡散臭く見られなかったのは有り難いことだった。
そのままラップは村はずれの小屋に行った。
応対に出てきたのは初めて見る老婦人だった。
「おや、トルタ坊を助けてくれた魔法使いじゃないか。この家に用事かい。」
ラップは薬草を老婦人に渡し、前に届けたのと同じ物だと伝えた。
「ああ、喉がすっきりする薬草かい。私も何度か飲ませてもらったよ。あんたが作ってくれたんだね。」
「はい。あの、今日はジャックはいないんですか。」
ラップが尋ねると、老婦人は顔を曇らせた。
「今、村長のところで男たちが集会をしているんだよ。ジャックはそこへ行ったよ。」
「そうですか。そちらへ伺っても大丈夫でしょうか。」
ラップが聞くと、老婦人はわからないという風に首を振った。
「さあねえ。用事があるなら行ってみてごらん。村の一番高台の家だよ。」

村長の家には行った事があるので、場所はすぐに分かった。
ほかの家より、大人の背丈ほど高い所に建っている。
見上げると、玄関も窓も開け放たれ、そこから大勢の男たちの姿が覗いていた。皆座って、話し合いをしているようだった。
ラップは、人のひしめき合う気配に気後れを感じた。それでも上っていき、玄関をくぐった。
「おい、あいつは。」
すぐに気付いた者が囁き合うのが聞こえた。ラップは隠れたい気持ちを抑えて声を出した。
「こんにちは。ジャックはいますか。」
男たちの話し声がやんだ。注目されていた。
「俺はここだ。何の用だよ。」
奥の方からジャックの不機嫌な声がした。見ると、ジャックは村長の隣に、所在なさげに座っていた。
「また薬草を持ってきたんだ。小屋にいたご婦人に渡したから使って。」
ラップは言った。
「世話焼きだな、お前。ありがとよ。」
ジャックはニヤッと笑って答えた。ラップも笑顔を返した。
これで一つ用事が済んだ。ラップはそこではたと困った。今ここでシャリネの事を尋ねるのは、あまりにも場違いだし、旅に出ることを言うのも相応しくない気がした。

「村長。ジャックは魔法使いとも親しいじゃないか。」
集まっていた男の一人が叫んだ。糾弾するような声だった。ラップは驚いて男を見た。
「元々仲間なんじゃないのか。」
ほかの男も叫んだ。
「何言ってるんだよ、ミッシェルは関係ないだろ!」
ジャックが男たちに向かって言い返した。
「関係ないかどうか、証明出来んだろうが。俺はこんな奴に村の宝を預けるのは反対だ。」
「俺も反対だ。山賊共に伝統を汚されてはかなわん。」
二人の男だけでなく、他にも反対の声が上がった。
「みんな落ち着け。」
年配の男が大きな声を出した。見覚えのある男だった。
初めてこの村の人たちに会ったとき、先頭に立っていた男だと気がついた。
「ジャックが山賊の中で育ったのは本人も認めていることだ。だがラグピックへ来て二年。今、山賊と付き合っている様子はない。みんな見張り番をしていて分かっているはずだ。」
年配の男は言う。
「だから、そこの魔法使いが仲間じゃないかって言ってるんだ。前にも一度小屋に来てたぞ。」
一人の男がラップを指差した。
ラップは頭に血が上るのを感じた。あの時、入り口で見張りをしていた男に違いない。
「ミッシェル君が山賊だという証拠は何だ! 俺の息子を助けた恩人に、そんな言いがかりをつけないでくれ。」
シュバルが立ち上がって反論した。
「山賊じゃない証拠もないだろう。下心があって村へ近付いたのかも知れん。」
皆がてんでに自分の意見を主張し始めた。
「いいかげんにしろよ!」
ジャックが叫んだ。
「俺が山賊で、銀の短剣を盗み出すって言いたいんだろう! 勝手に言ってろよ。短剣なんか知るもんか。俺は巡礼なんか興味ないんだ。ばあちゃんの頼みでしぶしぶ引き受けたのに、よってたかって悪党扱いしやがって。」
「よさぬか、ジャック。」
村長がジャックを止めようと腕を揺さぶった。
「そんなに行かせたくないなら、巡礼なんかお断りだ。村の伝統が消えようが絶えようが、全部あんた達のせいだからな!」
ジャックは集まった男たちに叫んだ。
家の中は、水を打ったように静かになった。
「……久しぶりに巡礼の子を送り出せる年が来たのじゃ。皆、ジャックを信じることは出来んのか? 次に巡礼を出すのはまた何年も先の事になってしまう。」
村長が悲しげな口調で言った。

大変な場に来てしまったとラップは思った。
成人の儀式について話し合いが開かれていたのだ。それも紛糾している真っ只中だった。
「村の大事な儀式なんだ。なんとか続けられないか。」
控え目な声が上がった。
反対している男たちが発言した男を睨みつけた。
「昔の俺たちも、真面目な奴ばかりじゃなかった。それでも力を合わせてシャリネを回ったじゃないか。それが大人になる事だっただろう。」
年配の男が言った。
「でもなあ、喧嘩好きや悪ふざけと、山賊を一緒にされては困る。」
「村を出たら俺たちの目は届かなくなるんだぜ。」
反対している男たちは遠慮がなかった。
「お言葉ですが。」
ラップは男たちに向かって言った。
「あなた達にはジャックが山賊のように見えるのですか? 僕にはお祖母さんの心配をする優しい少年にしか見えません。いつまでも過去の事を引き合いに出して、今のジャックを見ていないのではありませんか。」
言うにつれて怒りが沸き上がってきて、ラップは語気強く言い切った。
「む……」
男たちが押し黙った。
「この子の言う通りじゃないか。この二年、ジャックは村でおとなしくしてた。狩りもよく手伝ってくれる。お祖母さんの面倒もちゃんと見てる。俺には悪い子には見えん。」
シュバルが言った。
「うん、そうだな。信じてやることも大人の役目だな。」
賛成の声が上がった。
「山賊の仲間がいるなんて、あんたたちの推測にしか過ぎんよな。」
「お、おい、巡礼に出すつもりなのかよ。」
旗色が悪くなったのに気付き、反対していた男たちがおろおろし始めた。
「皆、銀の短剣は本当に宝なんだぞ。盗まれて巡礼が出来なくなった村だってあるんだぞ。」
「いちいち心配していたらキリがない。そういう危険を身を持って経験するのが巡礼の意味だろう。」
次々と発言があった。どれもが、自分の巡礼の経験を踏まえての賛成意見だった。
ラップはじっと耳を傾けた。
シャリネにいるだけでは、こんな奥深い話を聞くことはできなかった。
村長が嬉しそうに、一つ一つの意見に頷いていた。

「待てよ。散々言っといて、結局行かせる気なのか。」
ジャックが納得できないという表情で皆を見回した。
「元よりそのつもりだ。ラグピックの子どもとして、送り出したい。」
村長がジャックに言った。
「嫌がってる人がいるじゃないか。俺、信用されてないんだろ。」
ジャックの視線は、先程まで自分を責めていた男たちの上に注がれていた。
「君をちゃんと見ている人もたくさんいる。自信を持っておくれ。」
「勝手に決めるなよ。俺は行きたくない。」
ジャックは村長に言い返した。
「巡礼に行った方がいい、ジャック。」
ラップは思わず言っていた。
ジャックが不満そうな顔でラップを見た。
「僕はシャリネに何年か暮らしているけど、巡礼の旅人はとても少ないんだ。貴重な体験を逃さないでほしい。」
「ミッシェルも巡礼をしてるのか?」
ジャックが聞いた。ラップは首を振った。
「違う。僕は鏡を見ることは出来ない。でも巡礼を始めたのは魔女だというから、魔法の修行に役立つ事がないかと思ってシャリネを巡っているんだ。羨ましいよジャック。代わりに行きたいくらいだ。」
ラップは心から言った。

「それならお前が行けばいい。」
ジャックが素っ気なく言った。
その突飛な発言に、その場にいた全員が言葉を失った。ラップも返す言葉がなかった。
「こ、こらジャック、無茶を言うな。」
年配の男が慌てて言った。
「だって、俺は行きたくないし、あいつは行きたいんだ。丁度いいじゃないか。」
ジャックは主張を曲げない。
「お祖母さんの頼みを聞くと言っただろう。」
「言ったさ。でも山賊だと決めつけたのはあんた達だ。そんな事言われてまで行きたくない。」
ジャックの言葉にも一理ある。説得している男はどう言ったら良いか考えあぐねているようだった。
「巡礼はラグピック村の行事だ。僕に参加する権利はないよ。」
ラップも言った。
「俺だって、ここで生まれたんじゃないし、村へ来てたったの二年だ。俺が行けるならお前が行ったって変わらないじゃないか。」
ジャックは言った。
「聞き分けのない事を言うでない、ジャック。」
村長がたしなめるように言った。
ジャックは村長に食って掛かった。
「嫌なんだよ、俺。行きたくないんだ。巡礼って三ヶ月も掛かるんだろう。その間に、もしばあちゃんが……。」
ジャックは途中で言葉を飲み込んだ。
それまで怒鳴り散らしていた顔に、ぽろりと涙が流れた。
「ばあちゃんに何かあったら、俺、間に合わないじゃないか。そんな所へ追い出さないでくれよ。」
ジャックは言うだけ言うと、身体を丸めて泣き出した。
村長と年配の男が困った様子で顔を見合わせた。

「あの、巡礼を一年延ばすことは出来ないのですか?」
ラップは側にいる村人に尋ねてみた。
「それは滅多に無いなあ。鏡が子どもでないと反応しないと言われているからな。身体の弱い子でもない限り、14歳で参加するものだよ。」
「そうなんですか。」
ラップは残念に思った。
「ジャックの気持ちもわかるが、ここは覚悟を決めてもらった方があの子の為だと思うがな。一年先伸ばししても、今と状況は変わらないかも知れん。」
他の男も言った。
厳しい掟だとラップは思った。
残す家族に不安があっても、それを抱えたまま一人で世界を回るのか。
だが、その厳しさが失われたら伝統は揺らぎ、消えてしまうのだろう。

「あの、僕が付いて行ってはいけませんか。」
ラップは村長に向かって尋ねた。
「丁度、ディーネを引き払おうと考えていたんです。よかったら、テグラのシャリネまで一緒に行かせてもらえないでしょうか。」
自分の都合も考えての申し出だった。
村長が、厄介ごとが増えたというように頭を振った。
「気持ちは有り難いが、巡礼は該当する年の者だけで乗り切るのがしきたりじゃ。」
集まった村人たちも同意するように頷いた。
ラップはジャックを見た。まだ俯いたまま肩を震わせている。
「元々乗り気でないジャックに巡礼を求めていると見えますが、人の心をずたずたにしてまで巡礼を続ける意味があるのでしょうか。」
ラップは心に浮かぶままをつぶやくように言った。
「このまま巡礼に行ったとして、もし彼の恐れていることが起こってしまったら、ジャックは生涯消えない傷を負う事になりませんか。それはこの村の伝統が絶えるより、もっと辛い結果ではありませんか。」
ジャックが顔をあげた。涙でくしゃくしゃになった顔でラップを見つめていた。
「伝統を守り続けることは大変だと思います。こうして苦労を重ねて続けて来られたのだと知って、頭の下がる思いです。ですが、今ジャックに求めていらっしゃることは、村にとってもジャックにとっても良くないことだと思います。」
村人たちがざわついた。
「そりゃあちょっと厳しい事を求めているとは思うけど…。」
「辛い事が起きても乗り越える覚悟をするものだろう。」
「ジャックは、お祖母さんと二人きりなんだよな。」
「山賊なんていう余計な心配を持ち出したからいけないんだよ。」
てんでに話す人々の声は、自然と村長へ、そしてジャックへと向かった。

「ジャック、お前の正直な気持ちを教えておくれ。わしらが巡礼を頼んだことも、お祖母さんが巡礼を願っていることも忘れて考えるんじゃ。お前は巡礼に行きたいか、それとも行きたくないか?」
村長が改まってジャックに尋ねた。
ジャックはこぶしで目にたまった涙を拭った。
「何も気にしなくていいなら、俺は、行きたくない。」
ジャックは先程からの主張通りの答えをした。
村長ががっくりと肩を落とした。
「でも今、皆の話を聞いてて、ばあちゃんが俺に巡礼をさせたがっている理由がわかった気がする。辛い事が起きても前へ進めって言われてる気がした。もう子どもじゃなくて、辛い事から逃げていられないって、教えられてる気がしたんだ。」
ジャックは決意を固めた目で村長を見た。
「村長、俺、巡礼に行きます。留守の間、ばあちゃんのこと、お願いします。」
「おお、ジャック。行ってくれるか。」
村長は喜びを全身に表した。ジャックの肩を叩き、手を固く握りしめた。
村人からも安堵の声が上がった。
「村長、無理を承知で一つ頼みがあるんだけど。」
ジャックが村長に言った。
「さっきあいつの言ってたこと、叶えてやってくれないかな。テグラのシャリネまで一緒に行きたい。」
ジャックはラップの方を見て言った。
「えっ。」
ラップはドキリとした。折角まとまりかけた話を、ややこしくしてしまいそうだと思った。
「村長、私もお願いしたい。ミッシェル君には息子を助けてもらった。例外を認めてやってもらえまいか。」
シュバルが言った。
「俺は反対だぞ。行くならジャックが一人で行くべきだ。」
「そうだそうだ。」
また意見が飛び交った。ラップは気まずい思いでそれらを聞いていた。
「皆の衆、静かに。」
村長が声を張り上げた。

「巡礼はラグピック村の行事じゃ。村の子どもにしか参加する資格はない。」
村長が言うと、ジャックは頬を膨らませて不満を表した。
その表情を見て、村長は一つ咳払いをした。
「もし、誰かが出発までの間ミッシェル君を村に住まわせてくれるなら、十歩譲って村の子どもと見なすことも出来るかも知れん。」
「おお!」
シュバルが我が意を得たりと拳を握りしめた。
「それに、参加する以上、しきたり通りに行動してもらわねばならん。銀の短剣を持ってラグピック村を出発し、再びここへ戻ってくるのじゃ。途中でどこかへ腰を落ち着けてしまうなら参加は認めん。それを皆の前で誓ってもらわねばならんな。」
村長はゆっくり部屋を見渡し、反対意見が出ないのを確認すると、最後にラップを見た。
「どうじゃな?」
ラップは唾を飲み込んだ。
村長の申し出は英断だと思った。しかし、反対する者は納得しないだろう。
事を丸く収めたいなら、断るべきではないかと思った。
だが、願ってもない申し出だった。二度とこんな機会はないだろうと思われた。
『辛い事があっても、前へ進めって。』
さっきジャックの言った言葉を思い出した。
人の顔色を伺っていては、自分の願いを掴みとることは出来なかった。
反対されても、理解されなくても、それでも信じた道を進むべきなのだ。
「ぜひ巡礼に参加させてください。ラグピック村のしきたりを守り、その通りに行動します。お願いします。」
ラップは深く頭を垂れた。

 

(2010.6.27)

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